トワイライト裏業務日誌 2005年11月・12月
11月3日
 日本酒も美味しい季節になってきましたが、皆さんも楽しんでいらっしゃいますか?
 さて、日誌としては若干ウソになる昨日ネタを2件。

{近くて遠き仲だった?}
 まず、皆さんは図書館というところには行かれる事がありますか?
 オレが、読書量が天文学的な量(ちょっとオーバー!)なのは、オレをご存知の方の間では有名な話だけど、意外な事に図書館にはほとんど縁が無かったのです。
 ところが、どうしても読破したい本があって、新品はおろか、中古本を探しまくっても、全然ヒットしなくて、少しあきらめかけていたのです。
 そうした際に、オレがオススメした本を、「図書館で借りて読もうと思います、なぜなら返却期限があったほうが、後回しにせずに読むように自分にプレッシャーを掛ける事ができるから」と、思わず納得できるコメントをブースカさんから返事としていただいたのを思い出し、「いくらなんでも、オレが探しているような超マイナーな古い本は無いだろう」と思いながらダメ元で、広島市の図書館の蔵書検索でチェックしてみたら、なんと探していた本があったのです。(素晴らしき本を保管していていただきありがとうございます・・ってか、よくこんな本、蔵書にしていましたね・・笑)
 そこで、ホントに久々に図書館に乗り込んで、登録カードを作って借りてきたんだけど、後から蔵書検索をしてみると、過去半年以上中古本として(新品は、すでに無いため)探しつづけていて、いまだに見つからない本があるわあるわ。まさにオレにとっては宝の山だったのです。(灯台下暗しとは、この事だったのね)
 さすがに、それほど専門的な本ばかりなので、一般の閲覧室に展示されている本はほとんど無くて、奥の書庫に保管されているものばかりなんだけど、図書館の凄さを、今になって再認識しています。
 よく考えれば、ほぼ毎週講義のために、図書館から歩いて5分程度のところに通っているのに、今までその価値に気づかなかったのは、実に情けない限りで、今後は、一般の書籍は購入するにしても、探しようのない本の発掘に利用させてもらう予定です。

{2度目は恥ずかしい??}
 タイトル読んで、滅多な妄想を広げてはいけません(笑)
 例えば、皆さんがいわゆるマニュアル的な対応を要求される販売店(例マクドナルド)で接客をしていて、友達が買いに来るとどうなりますか?
 普通のお客さんに対しては、マニュアルさえ慣れれば、何の事は無い対応が、友達や家族が来ると、途端におかしくなってしまうはずです。
 最近深夜枠からゴールデン枠に移った番組で、方言を使ったら減点というコーナーがある番組が好評を博しているけど、あれも自分の地元であっても、知らない人に電話するなら、例え相手が強烈な方言の使い手であっても、標準語で対応する事はワケないはずなんだけど、知人や家族だから、ペースを崩されてしまい方言連発になるはずなのです。
 そろそろ本題に入るけど、オレが現在でも講義を担当している厚生労働省のコースがあり、短い期間でありながらも、受講される方々と色々な交流をさせていただいているんだけど、そのコースに、オレが最初に専門学校で教えた卒業生のCちゃんが入校したいと言い出したのが1ヶ月ちょっと前。
 卒業後も、CちゃんやCちゃんのクラスのコ達とは、ずっと交流が続いていて(日誌に過去頻繁の登場する”回を重ねる毎に、参加人員が増える仲間の会”のこと)、今でもメシを食いに行ったり、一緒に遊びに行く事が多いので、入校前に、時間をとって相談を受け、その後、Cちゃんは入校の意思を固め、幸いな事に適性検査を突破して入校できたのです。
 それはそれで非常に喜ばしい事なんだけど、今度はオレのほうが緊張する事になったのです。
 というのも、Cちゃんとは過去2年間135時間を使って色々な話をしていて、しかもその後、仲間として多くの時間を費やしているわけで、その経過の中で、再度オレの講義を受けれる事を楽しみにしてくれているのは、人にモノを教えるという仕事をする人間としては、まさに「講師冥利に尽きる」という話ではあるものの、空白の3年間の間に、オレの講義内容が進化していなかったら、がっかりさせる事になるだろうし、何より、他の入校生は初対面なのに、1人だけ、そんなに深く関わっている受講生がいると、まさにマックのカウンターで知り合いに接客するようなカンジがあるので、その距離感をどう作るか、現在手探りの状態です。(特に、照れくさい面もあります)
 ちなみに、初講義の後、「久しぶりに新枝節を聞けて楽しかったですよ。以前よりパワーアップしているカンジでしたし」と感想をメールしてくれたのは、少しばかりホッとできました。。
 でも、パワーアップだなんて・・・・・どんな講義や(笑)
11月4日
 今朝、一通りの仕事を片付けてから、週に2回の講義日なので、電停に急ぎ到着すると、いや〜な予感を持たせるようなアナウンスが流れたのです。
 「いつも広島電鉄電車をご利用いただきありがとうございます」というフレーズで始まるアナウンスは、決して日頃の利用を感謝するお礼のアナウンスではなく、必ず何かトラブルがある時のアナウンスなのです。
 ここ数日、広島周辺は、JRも含めて事故などで乱れっ放しなので、「まさか、今日も?」と思いつつしっかり聞き耳を立てていると、講義に向かう目的地の少し先で、自動車との事故のため、事故現場より少し手前(紙屋町)から終点までの区間の運行を止め、手前から分岐している広電の本社がある方向へ運転系統を変更しているというアナウンスだったのです。
 まぁ、全面運行停止しているわけでもないし、紙屋町から講義場所までは15分も歩けば着くので、気にせずに時間外れの満員電車と化した電車に乗り込んだのです。
 途中、折り返し設備がある2ヶ所で停止し、状況確認や変更指示をチェックし、普段よりかなり時間がかかりながらも紙屋町に向け走行していると、途中で無線によって「事故による支障解除」という連絡があったのです。
 紙屋町に到着すると、車掌と運転士が相談していたものの、再開区間に進入している先行電車は、行先を見ると終点の広島駅前ではなく、途中区間の八丁堀(こんな字幕があるとは知りませんでした)までになっていたので、予定どおり分岐方向の広電本社に向けて走り始めたんだけど、広電って、こういう時の運転整理は、意外と大雑把で、現場判断に委ねられている部分も多いのかとビックリでした。

 というのも、オレは、色々な職業の難しさを、あらゆる面で勉強させてもらっているものの、とても人間業だと思えないほど困難な仕事だと感じているのが、(特に影響が広域に及ぶJRの)事故などによる運転再開後の運転整理なのです。
 今回の広電の場合、元々本来の路線を運転する運転士のほとんどは、行先変更した区間も運転できるし、そこから折り返して戻ってきた時に、乗務員も交替すればよいので、労働時間が延びる面では残業手当で解決するし、乗務員の交替場所は、各路線1ヶ所で、そこを必ず経由するので、そこを基準に列車本数なども運転調整すれば解決するんだけど、JRみたいに、同じ路線に種別が多く、追い抜きや行先が全く違ったり、乗換接続を考慮したり、さらには、運転士が運転を許される区間に色々制限があると、とてもじゃないけど、サクッと整理する事なんてできないのです。
 しかも、支障が無くなってからも長時間止めておいて、整理案をゆっくり検討するならまだしも、事故復旧後なるべく早いうちに少しでも復旧させようと思うと、いつからどういう状況で再開するか、スタートの基準を確定できないし、事故で抑止されている間も、可能な区間で臨時に運転しているのだから、まさに、いつ音楽が鳴り止むか解らない状況での「椅子取りゲーム」みたいなものなのです。
 さらに、電車編成をどのように予定変更して運用するか、運転区間に制限がある運転士をどう乗り継がせるか、さらに車掌は車掌で全く別に、同じように組合せを考え、さらには、急に作った運転時刻表を、すべての列車の運転士にタイムリーに引渡すetcを考えると、何で、それを別々の部門で一気に調整できるのか、とても信じられないという神業なのです。
 オレも、仕事で荷物の着荷が遅れたとか、色々な環境条件の変化の中で、どれだけ予定どおり対応できるように修整するかという事には、腐心しているけど、とてもウチの回復ダイヤどころの難易度ではありません。
 それだけ、色々な状況や、事前にフォローできる手を打ちながら進めていく、ベテラン社員の技があるんだと思うけど、是非許されるものなら、そういう運転整理案を計画実施中の運転部門を見学したいというのがオレの気持ちなので、どなたか可能であれば引き合わせてください。(でも、いつ故障や事故でそういう体制になるか、予定できる事じゃないので無理だろうなぁ)

 ちなみに、予定より45分遅れて講義場所に到着したけど、それでも遅刻しなかったのは、ディーラー時代(3分前出社)を知っている人であれば、信じられない出来事だと思います(爆)
 ま、人間、周囲への影響が大きくなれば、こんなもんです(笑)
11月7日
 昨日は広島県知事の選挙だったんだけど、選挙公示前はおろか、期間中も盛り上がらない事この上無いというカンジでした。
 今朝の新聞を読むと、やはり投票率も全国歴代ワースト2位だったらしく、「働かざる者食うべからず」かどうかはともかく、「投票せずに政治・行政に批判はできん」という信念を持っているオレでも、投票に行くのが面倒だったほどなのです。(それもあってか、普段は車で投票所に行くと置き場が無い事があるのに、ガラガラでした)
 というのも、4選目を目指す無所属の現職知事と、対抗馬は共産党公認の1人だけで、一騎打ちと言えば聞こえが良いけど、各党の相乗り候補なので公認されていないだけの圧倒的背景を持っている現職との戦いでは、事の是非はともかく、結果は見えているようなもので、どちらに投票したかはともかく、結果は予測どおりだったわけです。
 しかも、広島以外の方はご存じないと思うけど、なんと両候補とも同姓(藤田)という、きっと無効票も続出したと思われるんだけど、今回、オレは初めて地方選独特の選挙公報を事前に入手したのです。
 たまたま、公示後に区役所に行く用事があり、期日前投票の部屋の横を通りがかったら置いてあったので、持って帰って開いてみたら、2人のわざわざ公報を入手しなくてもわかる程度の経歴と、単なる総論としての公約(例、明日を担う人材を育てますなど)が書かれてあるだけど、こんな内容のために、何10万枚も印刷したのか・・・とがっかりせずにはいられませんでした。
 個人的には、もっと具体的な項目や数値も盛り込んだ、本当に4年間やりたいと思っているプランを期待していたんだけど、こんな内容だけなら、単なる美辞麗句・総論賛美みたいなフレーズばかりなので、はっきり言って税金の無駄遣いです。
 というワケで、少々費用がかかっても構わないので、シッカリした具体論まで記述した内容の濃いものにするか、廃止するかはっきりして、中途半端なものを作るのだけは止めて欲しいと感じたものでした。
11月8日
 皆さんの仕事上のうれしい事って何ですか?
 オレの場合、車関係の仕事の場合は、仕事が済んだ後の「お客さんの満足の表情」です。(決して、代金として受け取った諭吉サンではありません・・笑)
 通販の場合、お客さんの満足の表情というのは、残念ながらうかがい知れないのだけど、「事前から、色々相談に乗ってもらっていたので不安無く利用できたのですが、希望していた資料等もいただけて、取付も問題ありませんでした」なんてコメントを、商品のお届け以降にメールでいただいたりすると、それはそれは嬉しいものなのです。
 先日、本田美奈子が急逝したニュースは大きく報道されているのはご存知のとおりだけど、オレもデビュー時からずっと見守っていて(当時、本田美奈子のLPを持っていたくらいです・・CDじゃないところが爆!)、ミュージカルなどへの進出時も、生半可な根性じゃないのを知っていたんだけど、最近取り上げられている舞台で怪我をしても、そのまま演じ続けたという意気込みは、強い責任感だけでなく、観客からの賞賛の声・拍手を1度でも浴びると、舞台から降りれないと俳優がよく言う影響も大きかったんだと思っているし、オレのお客さんの満足の表情も全く同質のものだと思うのです。

 では、現在週に2回スポットで登板している講師としてのうれしい事は何か?という事になるんだけど、受講後に匿名で書くコメント(講師が直接読む前提になっていないので結構キツイ事が書かれているらしい)に、「とても勉強になった」という内容だけでなく、「先生と出会えて人生が変わった」なんていう、もっと裾野の広いコメントがあったりすると、「オレを美化しすぎじゃないの?」という不安を感じつつも、少なくとも専門知識だけでなく、人間として大きくなる時の手伝いが、少しでもできたと嬉しいものです。

 今日、メール対応をせっせとやっていると、携帯が鳴ったので発信者を見てみると、今担当しているコだったのです。
 出てみると、「相談して就職試験受けていたところ、受かったんよ〜☆」と、採用通知があった事の電話だったのです。
 このコは、とてもマジメに考えるので、元々「とりあえずどっかに適当な事言って就職できればOK!」みたいな考えではなく、ちゃんと相手のことも考えて、自分が本当に採用先の役に立つのかなんて事まで考えるし、それだけ自分に厳しいので悩む事も多く、よくそういう話を聞いていたし慰めるだけでなく、厳しいアドバイスもしていたのです。
 そのコに就職が決まった事は当然オレとしても嬉しい限りなんだけど、その伝え方として、次回の講義の時に伝える方法だってあるのに、わざわざ速攻で電話をかけてくれるというのが、早く知ることができるからというオレ側の理由ではなく、嬉しさを一刻でも早く伝えたいという、そのコの気持ちが嬉しかったのです。
 考えてみると、採用を知って、速攻で電話してくれたコは、日誌にも書いているけど過去にも結構いて、「メールする時間も惜しかったので電話した」というコや、チャリを運転中に電話してきて(これは道交法違反ですな!?)、コーフンして電話しているもんだから、思わず車に巻き込まれそうになったコも居たんだけど、こういう就職連絡電話も講師として関わる上でとても嬉しい事なのです。

 ちなみに、速攻連絡事件ネタとして爆笑だったのは、卒業後・結婚・出産と、あっという間にオレを2周も周回遅れにしたコが、出産直後の回復室から出産報告メールをしてきた事です。
 てっきり数日前の出産を報告してくれたんだと思って、メールが届いた直後だったので電話でも大丈夫かな?と思い電話してみたら、ホントに数時間前に出産したばかりで、今、回復室にいるというのを聞いて爆笑でした。
 このコは、今も親子3人の年賀状を送ってきてくれます。(シッカリ親バカ!・・笑)
11月10日
 連日、本田美奈子関連の報道がテレビで流されているのは皆さんもご存知だと思うけど、ちょっと別の角度からのお話です。
 日本では、古くから他国以上に故人の尊厳を重んじるという風潮があり、ある意味、とても誠実で優秀であったとは言いがたい人でも、祭祀の際には、それ相応の紹介をするのは、皆さんも実感されていると思うのです。
 実は、これが靖国問題で、世界にも誤解を受け、世界的に見れば非常に特異な日本独特の傾向でもあるんだけど、その問題は今回は置いておくとして、本田美奈子という人は、デビュー当初「わがまま」であるような言い方をされていたのです。
 確かに、わがままな部分があったのかも知れないし、それは単に若気の至りとして許される範囲の事なのかも知れないし、もしかすると、(いい加減な一部の)業界人の言いなりにならず、筋を通すというプロとして本来あるべき姿勢が誤解されているだけだったかも知れないけど、真相は、少なくとも業界的には門外漢のオレの知るところではありません。
 でも、近年の評価は、少し祭祀の際の社交辞令を差し引いても、非常に良い評価が周りから得られているように思えるのも、多くの方が感じているのではないかと思うのです。
 そこで、もしかしてあまり報道されていないかも知れない事ではないかという気がするので、ちょっと紹介してみると、あるコメンテーターが自らのHPで語っているのは、要旨としては次のような内容だったのです。

 彼女が逝ってはじめて私は「棺を覆って定まる」という言葉を痛感した。
 芸能人に限らず表現者というものはコツコツと続けていて後世に残す創造物に対する評価と露出度で得る浮名がある。
 本田さんはパチンコ屋や宝石屋の売名イベントに出ることなく男との浮ついた話も皆無な人だった。つまりはメディア的には露出度があまりなかったにもかかわらず彼女の価値というものは実は芸能人やアーチストたちこそが本当にわかっていたのだと、その惜しむ声で知った。 芸能人というのは周囲すべてがライバルなので仲間が亡くなってもある種慇懃ながら冷たいコメントを出すものだという。しかし昨夜の通夜に集った人々はその数の多さも異例ながら語る言葉のひとつひとつの重さに私は心打たれた。本田さんの素晴らしさを知ると同時に悼んだ人々の心の宝石をも私は再発見したのである。
 「私を筆頭に歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で・・・」
 この南野陽子さんの言葉は<歌で>という部分を入れ換えればあらゆる世界に住む人々の心に響くに違いない。さきほどのスタジオで芸能レポーターの山崎寛代さんは涙を堪えきれなかった。彼女の携帯電話には本田さんのメールや肉声がまだ残っているのである。
 一昨日の『ザ・情報ツウ』の本番前にはいつも剽軽な井上公造さんが沈痛な表情で「まずいですよ。本番中もつかな」と呟いていた。スポーツ紙各紙は一面で扱ったが異例なのは著名人ではなく現場の記者たちがいずれも追悼文を書いていることだった。ある人はプロ野球のキャンプ地である人は異動先の全く違う部署で。山崎さんや井上さんもそして記者たちも取材を通じて本田さんの心遣いに触れていた。彼女が逝ってはじめて誰に対してもそうであったことがわかり一同は涙を新たにしたのである。テレビ局や芸能界を少し覗き見る場所にいてこれほど人々が心を露にするのに接するのは初めてだ。外からの評価以上に本田美奈子という存在は尊敬され惜しまれたのだと知った。「ただ生きるなよく生きよ」。そのことを実践した光芒ある生だった。
引用終わり

 これを書いたコメンテーターは、ある意味”強面”、そして上っ面だけを見てしまうと過激な表現を多用するので、危険な人間と思う人も少なくないかも知れないけど、その発言の背景や、根拠となっている事象の歴史の研究などを理解した上で聴けば、決して暴言ではないし、多くの場合、実に本質を見極めている発言が多いのです。
 さらに言えば、コメンテーターも人の子、そしてメシ食えてナンボの世界に生きる人間に過ぎないので、批判を加える事を許されている事件の加害者や責任を負うべき会社などを糾弾するのは誰でもできるが、出演している報道情報番組の姿勢の矛盾などを、職を賭して糾弾できる勇気と良識を持ち合わせているコメンテーターは、ほとんど居ない現実があるのに、このコメンテーターは、そういう問題を何度も番組放映中に指摘していた姿を何度も見た事があるという、実に気骨があり、タテマエだけで正義感を振りかざして悦にいっているような軽薄なコメンテーターとは一線を画している人なのです。
 その人だからこそ、この本田美奈子という人間の生き様を真実に近く理解してもらうために、わざわざその人の日記に、本当の部分が理解できる取材裏情報を、普段芸能情報などは普段触れることがないのに書いたんだと感じています。

 ちなみに、「棺を覆って定まる」という考え方は、7年前に亡くなった父がよく言っていた事でもあり、職を離れて病床期間が長かった父の葬儀の際にも、予想を超える多くの方々に弔問に来ていただいたので、喪主としての挨拶に、同様の事に触れ、参列していただいた方々に深くお礼を述べた言葉でもあるため、なおさら感慨深い思いでもあります。
11月15日
 今日は午前中に時間を空けて検察庁に行ってきました。
 「ついにオマエも司直の手に委ねられる事になったのか」と想像している皆さんは妄想のし過ぎで、8月の事故の被害者側として検察官との話し合いに行って来たのです。
 詳細は、世間一般でよく言われている常套句の「裁判中ですので詳細は言えません」ではないけど、結審するまではオレも今日を含めて一連の事で感じる事を触れる事はできないけど、我々が心配していた事故の実情を十分に把握してもらっているという事だけは確認できて安心したのです。
 もう1つ、ここのところ、幾度と無く実感しているのだけど、今回担当してもらう検察官も、非常に考え方、姿勢、問題の切り口とも、多くの一般市民の感覚をしっかり持ち合わせている正義感の溢れる方が担当してもらえるようで、そういう方にめぐり合わせ(縁)についても深く感謝しているのです。
 先日の税務調査の担当官にしても同じで、世間の風評とは異なり、何がどうあるべきかという最も重要な本質論をしっかりと確立されている方々に、オレやオレに関わる事を担当してもらえるのは、「何も実態を理解してもらえずに苦労ばかりした」というケースもよく耳にするだけに、こちらから指名できず偶然(と書きながら個人的には”必然”だと思っていますが)担当されるとは思えないものがあるし、その方々の期待に応えるべき、今回も当たり前の事を、ちゃんと取組もうと思ってます。(ちょっと時間はかかりそうですが)

{洗脳について}
 洗脳というと、宗教に関する問題のように言われているものの、別に一部のアヤシイ宗教だけが洗脳の対象というわけではないのは、明晰な方ならよくご存知のはずです。
 例えば、マルチ商法なども、儲かるという欲望だけで突っ走っているかというと、実際にはそうでもなく、意外と社会的責務を果たしていると信じ込みながら、そういう組織に利用されているケースも少なくないのです。
 これは、オレの周辺の同世代だけでなく、担当した教え子は、さすがに民法などを学んでくれていた関係で、そういう話に疑問を持つらしく、そういう意味では、時間を割いて教えていた甲斐があったと安心しているものの、その教え子の友達などは、サクサクとひっかかっているのです。
 そうした犠牲者を見るに見かねて、被害者の友人等が説得しようとしても、ワケのわからない反論ばかりで説得に応じるどころか、かえって意固地になってしまうというケースも少なくないのです。
 そういう”こう着状態”になって、オレに登板してくれと頼まれる事も多く、野球で言えば1点差に追いつかれてノーアウト満塁みたいなシチュエーションでリリーフとして登板させられるような気がするんだけど、こういうシーンで説得する側とされる側双方が前提としないといけない事は、「洗脳というのは本人にとって、何かを無理に信じ込まされている事ではなく、本人は自然に当たり前に判断していると感じている状態」だという事なのです。
 ただ、第3者から見れば、あきらかに言動がおかしいとか、理論的に事実関係を確認しながら判断しているとは思えない状態に見えても、本人は、実に自然に当たり前な判断をしているという意識があるような状態に、非論理的、反社会的な事を受け入れさせるのが洗脳という手法なのです。(この部分があるので洗脳は非常に怖いのです)
 だから、よほどディベートのテクニックがあり能弁家と言われる人が説得にあたっても、元々洗脳によって植え付けられている事が正しいというのが基準どころか、知らないうちに拠りどころになっている被害者にとっては、なかなか理論では受け入れられないものなのです。
 だから、相手の論理(客観的には非論理的な内容である事が多い)を語らせて、その中での自己矛盾に気付いてもらうという気の長い姿勢が必要だし、それに気づいても、周りの人間の人間関係は何も崩壊する事がないという温かな包囲網が必要なので、皆さんも是非参考にしてみてください。

 ちなみに、今日検察庁に行ったのは、もちろん8月の件なので、洗脳との因果関係は全くありません。
 では、なぜ書くのかって?
 それは、今日ここに洗脳の事を書く事が自然で当たり前な事と思えるように、オレが洗脳されているからというのは冗談ですが、実は洗脳というのは特殊な事象ではなく、世間にありふれているという事をいいたいだけなのです。(宗教・マルチ商法に限らず、会社で仕込まれる企業風土や、もっと言えば”常識”というのも、ある意味洗脳のような面があります)
 忘れないうちに誤解を避ける意味で補足すると、個人的には本来の「宗教」そのものの否定派ではありませんので誤解の無きよう。
11月20日
 ここ数日、ビルの構造計算書の偽造問題で、激震が走っているのは冗談にもならない話なのは皆さんもご存知だと思うし、嫌疑をかけられている設計士が、仕事を確保するために確信犯としてやっていた事なのは間違い無さそうだけど、業界ぐるみの問題ではないかという疑惑の真偽はここでは触れないけど、元々、国で認定する仕事を民間に委託するという事にも問題があるとオレはいつも感じているのです。
 昨今、「民間にできる事は民間に」という大号令もあり、可能なものは何でも民間にという風潮が、さらに加速しているけど、民間企業に営利と相反する審査、検定業務に関しては、民間委託には、少なくとも適正な運用上の歯止めを考えておかなければ、(特に最近の利益至上主義の風潮の中では)マトモな運営なんてやろうともしない業者が乱立する事になり、それが利用者の不利益につながる危険があると感じています。

 ご多分に漏れず、自動車業界にも民間委託というのは、古くから存在していて、特に有名なのが車検の検査業務の委託で、分解整備ができる工場の主な区分として「認証工場」というのは分解整備は可能だけど、車検時の完成検査は陸運支局などに持ち込む必要があるけど、完成検査業務を委託されている「指定工場」は、書類の持ち込みだけで済むのです。
 指定工場として認可が下りるには、工場設備が基準以上のものが用意されている事、整備士が一定人数以上在籍している事、当然だけど検査員が在籍している事などの要件を満たし、申請中の持ち込み検査の再検査率が一定を超えると認可されないという、一定のハードルがあるものの、一旦指定工場になると、陸運支局の検査場に持ち込まなくても済むので、仕事上の責任感(使命感?)を無くしてしまうと、認証工場よりいい加減になってしまう可能性もあるのです。
 事実、人間だれしもミスはあるから、残念ながら完璧は望めないものの、明らかにミスや見落としとは違うトラブルを連発している指定工場もあるし、もっと言えば、検査自体を全く省略しているという悪質なケースもあるのです。
 お客さんは、決して安くない費用を支払って検査をお願いしているのに、「低価格」を謳って集客をはかる代わりに、全く検査しないとか、違法状態で検査を通せないのに、台数稼ぎのために黙認して検査を通すというところも少なくありません。
 厳密に言う違法状態の中には、条文的に違法にはなるものの、危険であるとか、環境負荷が大きいなどという事ではないケースはまだしも、安全に関わる部分を全くチェックしないという業者での検査後に、数々のトラブル(事故一歩手前というケースもありました)に巻き込まれた方は、ここ数年だけでもウチに相談された数だけでも、10件に及ぶほどなのです。
 これも、法律上、指定工場の検査員は、国の業務執行を委託されている、いわば国から派遣されている「みなし公務員」という立場なんだけど、検査員の賃金はもちろん就職先の指定工場(ディーラー含む)から支払われているので、検査員の独立性というのは、会社のプレッシャーにいともアッサリ崩される場合もあり、経営上の都合を優先せざるを得ないという判断をしている工場もあるのです。
 今回のケースでも、書類を偽造されるという前提では確認などをしていないので、そういう悪質な事をされるとどうしようもなく、書類を提出する業者を信じているというのが基本姿勢なので、(コメントを求められている)民間検査業者の責任は無いというコメントをしていたけど、信じるのが基本であれば、わざわざそんなチェック手順(機関や制度)を設ける必要がなく、逆に言えば、そういう機関や制度を設ける必然性があるなら、ちゃんと適正に実施されているかチェックできるシステムが必要なのは言うまでも無いのです。

 指定工場への陸運支局のチェックは、他の行政機関の監査と違って、いきなりやってくる「抜き打ち監査」なので、他業界の委託業務よりも、少しは襟を正せる背景があるんだけど、あくまでも監査で実施されるのは、書類上の問題が中心なのは、やっぱり役所の監査だなぁという気がしています。

 ところで、地震が無くても自重に耐えられず、長期的には崩壊する可能性まで出ているマンションも見つかったこの問題だけど、ある販売業者が、自分の所には責任が無いという事を、いきなりコメントしていた。
 これは、住宅物件の売買には、以前まで一般の商品の売買と異なった商慣習などもあったので、そういうコメントがあっても不思議ではないけど、責任の所在と購入者への保証は本来別だてで進めていかなければおかしいというのがオレの見解です。
 例えば、皆さんが某ディーラーに車検に出したとして、そのディーラーが外注先に作業を依頼したものの、外注先が検査を全く行わずに車検を済ませて引渡したら、足回りが元々緩んでいて、皆さんへ納車直後に脱落して事故になったというケースで、外注先が例えミスが無いと主張していても、その論議とは別に、お客さんにはディーラーが速やかな対応をするのが当然で、その対応で補填した損害をディーラーが負担するか、その原因が外注先にあるとすれば、後から外注先に負担させるかどうかというのをディーラーと外注先で交渉すればよいだけの事なのです。
 ところが、一部販売業者の信じられないコメントが、なぜこんなタイミングで発表されたりするのかというと、住宅なども場合は「瑕疵担保」という面の考え方が、他の商品販売とは、過去には、やや違った考え方になっていたためなんだけど、これは多分今後報道されると思うので、皆さんも興味を持って観て下さい。
11月26日
 ますます構造計算の問題は、裾野の広さ、根の深さを呈しているように感じられるけど、その中で「経済設計」というフレーズが出てきているのはご存知ですよね。
 ある意味、経済的行為である以上、経済的な効率性を考慮に入れないといけないのはやむを得ない話だけど、今回各ディベロッパーが言っている「経済設計」は本来の意味ではなく、要するに手抜きを言い換えただけなのは皆さんも実感されていると思います。
 昔から、日本人というのは、こういう言い換えをする事で、実態を誤魔化したり、事実を直視しなくても済むという心理も手伝ってか、この種の言い換えは数多く、近年で言えば売春を援助交際と言い換えて罪悪感を消し、単なる経済的行為のようなニュアンスを持たせた事もそうだし、少し昔をたどれば、太平洋戦争時に撤退する事を転進と言って、戦いに負けていると認めなかったり、全滅を玉砕と言い換えて美化して実態を直視させないようにした事も同種の言い換えだと思っています。
 すでに忘れられている観のある加藤の乱での「勇気ある撤退」というのも、単なる腰砕けになったのが実情で、ほとほと日本人は直視が苦手な人種だと思わずにはいられないのです。(その背景には、多くの人が意識していない”言霊”が少なからず影響していると思っています)

 建築といえば、日誌で6月に飛鳥時代の寺社建築の意外な素晴らしさ、奥深さの一端を紹介したシリーズを連載したけど、その根底に流れる思想は、素材を活かして使う事、デザインに限った話でなく、自然に融合する機能である事、そして長期間の事を視野に入れている事なのです。
 どっかのディベロッパーの社長が100年持つ資産だと大言壮語していたけど、実態はその逆で、長期間の事どころか、目先の安全性さえも二の次にしているというのは情けない事限りなくて、飛鳥の工人のそういう考えを、もっと学んでもらいたいと思っています。
 この寺社建築の話は、時折紹介する事があるんだけど、ウチに本を借りに来た人も、本屋に乗り込んだ人も、わざわざ奈良・京都まで出かけて実物を眺めた人etc・・・「今まで、何でも新しいものが素晴らしいと思っていたのに目からウロコだ」とか「当時の寺社は、古いという意味での価値しか感じていなかったけど、建築技術として実に優秀なものだと再認識できた」というメールを多数いただいただけでなく、オレが直接紹介する際に個々の個性をもっている人の活かし方も全く同列の思想が必要だと思うという意見に、「まさか、木組みの話で教育まで展開するとは思わなかった」と言われたけど、まさにそういう素晴らしい思想を1300年以上も前に持ち合わせていたのに、今の人々が失っているのは、もう1度考え直す必要があると思っています。

 ちなみに、オレが担当している学生(20歳女性)も、非常に興味を持ったので、本を貸すと、「実に面白かった」そうです。
 20歳女性がという勝手な先入観を持つ必要は無いけど、少なくとも世間の傾向では、最も関心が低い世代さえも、それだけ熱中する古来の建築技術、思想を是非皆さんも再認識してみてください。
11月28日 急がば回れ
 最近感じる事の1つが「急がば回れ」です。
 何を今さらという話でもあるけど、古くて新しいこのテーマは、やはり重要だよなぁ〜と、いくらアホなオレでも再認識せざるを得ないのです。
 宮大工ネタでも引用できるので、番外編驚愕の宮大工技術シリーズとして紹介すると、法隆寺の昭和大修理に関わっただけでなく、今の薬師寺の基本形を築いた際に大きく貢献された宮大工棟梁の西岡常一さんは、祖父の代から宮大工の棟梁の一家に生まれ、幼少の頃から祖父にスパルタ?教育を受けていたんだけど、工業学校に進学するか、そのまま大工として修行を積むかという段階になった際に、父が工業学校で建築の基礎を学ばせようとしたのに際し、祖父は「農学校」に進学しろと命じ、結果としてはそうせざるを得なかったそうです。
 当初、「何でワシが農学校なんや」と思いながら学校の成績は低飛行の一途だったそうなんだけど、途中から面白みも少しわかるようになって、結局は英語以外は楽しめたそうです。
 無事卒業後、大工の修行を始めさせてもらったのかというと、祖父に畑をあてがわれて、そこで学んだとおりに野菜などを育てるように言われたそうです。
 すると、面積の割に思うほど収穫量が無いと首を傾げていたら、それをみた祖父が「オマエは教科書に書かれているとおりにやっているかも知れんが、ホンマに作物と向き合っているのか?本と向き合っているだけじゃないのか?肥料をやるタイミング、水をやるタイミングも、作物と向き合っていれば、いつどのようにやれば良いか自然とわかるはずじゃ」と、命じられた内容をやっている”つもり”になっていた棟梁を諭したそうです。
 オレも非常勤で学生と関わる事が多いけど、学生に対する色々な事を悩んでいる学校関係者にも、教科書や指導要領、学校側の常識にばかりとらわれて、実際には学生に向き合っていない方々が多いと感じているので、まさに深いコメントだと感じたのを覚えています。

 その後、1年経過してからようやく大工として本格的な修行をさせてもらうようになったそうだけど、その後に責任を持った立場になるにしたがって、農学校で学んだ事が非常に大きな意味を持って来たそうです。
 それは、先ほどの「向き合っているつもり」という錯覚を正すだけでなく、木は土地の状況によって育ち方が違い、木の個性も木をしっかりと学んでいるので、他の大工に比べて非常に観察力があり、それをどのように活かすかという発想が持てた事や、土をとても理解しているので、寺社建築の基礎(コンクリートではなく粘土質の土などをつち固めたもの)の重要性や、遺跡の発掘時も古代に柱用の穴がどのような掘り方になっていたのかなども考古学者さえ考えない視点で見つけることができたそうです。
 この西岡棟梁にとって、祖父の信じられない一言「農学校に行って、土を学べ」というのは、一見関係無い遠回りな命令だったように見えるものの、実際にはとても大きな意味があるまわり道だったそうです。

 同じような話で、ウチにはMさんというお客さんがいて、アウトロー軍団のOさんに紹介してもらったお客さんで、機械関係の設計をCADでやっているオレと同じ自営業なのです。
 Mさんには、車関連の仕事のリクエストをいつもいただいて、出張作業なども行っているんだけど、よく作業後に、お互いの仕事の話だけでなく、仕事に対しての考え方、人の育て方など有意義な話に熱が入る事があるのです。
 そのMさんのところで、修行している人が、なかなか成長しない事に悩んでおられて、その理由の1つとしてCADで設計する際に、機械や金属部品の特性を、その修行中の人が理解していないために、現場の方々からすると無理な設計を行ってしまっているため、Mさんは何度も指摘しても改善の様子が無いため、「現場に何年か勤めてから、こういう仕事で独立したほうが良い」とアドバイスしたそうです。
 これは、表面的には技量不足という評価だけでなく、その人にとっては、意味の無いまわり道だと感じる話だと思うけど、西岡棟梁の祖父の指導と同じように、実は、達人にさせるための愛のある指導なんだと思うのです。
 目先の数年というのは、非常に長く感じるし、目の前に実現したい事がぶら下がっている時に、遠回りするなんてなかなかできる事じゃないけど、ちゃんと向き合って指導してくれる人から、そういう指導をされた場合は、何らかの自分が推測できない意味があるという事だというのは、オレや皆さんも是非考慮するべきテーマのような気がしています。

 オレも遠回りという意味では、大阪に行くのに、アルゼンチン経由で行くくらい遠回りしたけど、それを有意義に活かせているかどうかは微妙な話です。(反省!)
11月29日
 このところずっと高騰が続いていた石油の価格が先月ごろから落ち着きをみせ、今月に続いて来月もガソリンや軽油の小売価格が値下げになるのは、ほぼ間違いない状況になったようです。
 多くの方にとって朗報と言えるこのニュースだけど、考えてみれば今まで「中国の石油消費の増大が世界的需要増につながり、結果として石油相場が高騰した」のが原因であれば、値下げ傾向というものが、おかしな話だとお気づきの方もいるはずです。
 中国のエネルギー需要増大は事実で、右肩上がりの需要増加がはっきりしているんだけど、それが主な理由であれば、これまでのように値上がりする事はあっても、値下がりする事は無いので、そういう意味では下落傾向はおかしいのです。
 これは秘密でも何でもなくて、中国のエネルギー需要の増大によって、石油価格が長期的に高値に推移するのを見越して、実際に汲み上げられた石油ではなく、何ヶ月も先の石油を買い付け、それが買い付け時より高値になったら売却するという、売却益を狙った売買が非常に横行しているから、結果として土地価格のバブルの時のように、次から次へと売り抜ける事で、利ざやを稼ぐため、結果として必要以上に価格が高騰しているという側面があるのです。
 その部分の過熱状況が少し収まりつつあるので、価格が若干安めに推移するようになったというのが真相なんだけど、これはごく一部の報道でしか目にしていないのは悲しい限りです。
 というワケで、ウソ(中国の石油消費の増大が世界的需要増につながり、結果として石油相場が高騰したという事実)じゃないけど、総合的に判断する上で、勘違いを生む話は、何もコレだけでなく、リサイクル、原子力発電などについても同じ事が言えるので、皆さんも1つの断面だけで判断せずに、全体の流れでも判断するようにしてみてください。

{今日のオマケ}
 国会の参考人質疑でも暴言というか、妄言を繰り返して、委員長にたしなめられているO社長の言動を見るたびに思うんだけど、ある会社の責任者に人相も、雰囲気も言動も酷似しているのです。
 今日、その会社のスタッフの1人にそれを言うと爆笑で、そのコも同じ事を考えていたようです。
 ちなみに、そのコは日誌は読んでいないけど、同じところの某社員は、日誌を愛読してくれているので、これを読んだらきっと噴き出すでしょう。
 O社長と、その責任者の心理学的共通項は非常に多いんだけど、それはココでは触れないので、興味をお持ちになった某社員は、直接お問い合わせください。
12月2日
 連日話題になっているマンション構造偽装事件に限った話ではなく、事故調査の際にもいつも責任逃れを最初に考える関係者のコメントに辟易しているのは、オレだけでなく、きっと皆さんも同じように感じていらっしゃると思うのです。
 そこで、歴史をたどって、そうではない人物をちょっと紹介してみます。
 軍事関連に多少詳しい方であれば、戦前に「友鶴事件」というのをご存知の方もいらっしゃるかも知れないけど、少し解説すると、日本海軍の水雷艇「友鶴」が荒天時の演習中に転覆してしまったという事故なのです。
 当時、日本海軍の艦艇は、どんな荒天でも転覆しないと信じられていたんだけど、これがアッサリと転覆し、安全神話とともに海軍のプライドも崩壊した事故だったんだけど、実は、転覆に至る背景があったのです。

 それは、第1次世界大戦後の軍縮で、大型の戦闘艦である戦艦は米英の6割、補助艦はおおむね7割に制限されていたんだけど、小型の艦艇に関しては規制が甘かったり、無かったりしていたために、駆逐艦(1,000トン以上)よりも小型で制限の無い艦艇の水雷艇(600トン程度)に、駆逐艦なみの兵器を搭載し大幅増備する事で、実質的な戦力の拡大を図ろうとし、その第1歩として友鶴が竣工したのです。
 ところが、元々小さい船体の上部に大きな兵装を無理に搭載したため重心が高くなり、それまで、横波を食らっても極論すると80度傾いても元に戻る(復元力)とされていた軍艦一般の安全マージンから考えると、大幅に復元力が低下していたのを見過ごされていたのです。(安全より広さや低コストを優先した事件のように、安全よりも見かけの兵装の多さを優先してしまったわけです)
 その頭でっかちになっている友鶴が、竣工間もなく訓練で外洋に出たものの、天候が悪く訓練を中止して、佐世保に戻ろうと航行中に、波を受けて転覆してしまったというのが友鶴事件なんだけど、当然のように海軍内部でも、今回のように大問題になったわけです。
 そして、事故調査委員会が作られ、海軍部内で選ばれた調査団が佐世保に到着すると、当時佐世保の司令長官だった米内長官が「オレの事はどうなっても構わないから、本当の原因をしっかり調査してくれ」と、隠蔽どころか、真相究明のための環境整備に最大限の努力を惜しまなかったのです。

 結果、訓練方法、艦艇の荒天時の舵取りの問題など部隊や部隊の指揮の責任ではなく、設計時の復元力に大きな問題がある事が判明して、米内長官は処分される事が無かったけど、事故直後に保身に走らず、例え自分に責任が及んでも、原因の究明によってのみ対策が取れると確信していた米内長官の覚悟と責任感は、その後の日本艦艇の設計の見直しに貢献しただけでなく、調べていくと、構造的問題が友鶴だけでなく、次から次へと出るわ出るわで、今のビル問題と同じような状態になったし、兵器のスペックなどを要求する部門のリクエストに従順に応じていた設計者の責任とプロとしての資質も問われ、設計部門の責任者も交代する事になったのです。
 しかし、問題が大きくなると責任が及ぶなんて保身を考えずに、米内長官をはじめ関係者の努力と真相究明によって、復元力の安全性を改善した新型艦艇や、復元力を改造で改善した艦艇は、例え台風に見舞われても太平洋戦争時に転覆事故を起こさなかったのです。(意外かも知れませんが、米軍艦艇は、かなり被害を生じているのです)

 ちなみに、近代史を良くご存知の方であれば、オレほどではないものの「米内」という珍しい名前に「どっかで見た名前だなぁ?」と感じられたかも知れませんが、それは大正解です。
 この人、米内光政は、日本の歴史の転換点で重要な役割を何度も果たしている人なのです。
 まず、海軍の幹部軍人を養成する「海軍兵学校」出身の海軍士官なのは当然なんだけど、学校の卒業成績はあまり芳しくなく、「グズ政」などとあだ名され、歳をとってくると、はっきりとエリートコースを外れ、当時、予備役(実質引退)直前の将軍のポストとされている鎮海要港部の司令官に任命されて、本人も予備役入りを覚悟していたらしいけど、同期生などの間で「米内は大人物なので、ここで予備役にするには惜しい」という声が中央でも広がり、佐世保の長官(友鶴事故の時)、横須賀の長官(横須賀は当時別格だとされていた)、連合艦隊司令長官などを歴任し、海軍大臣に就任したのです。
 その大臣時代は、米内大臣、山本(五十六)海軍次官、井上成美軍務局長というリベラリスト三羽烏で日独伊三国同盟に徹底的に反対し、アメリカとの戦争を避ける努力を命を賭けて遂行しただけでなく、その後、内閣が総辞職した後に、昭和天皇の内意もあって総理に就任したものの、陸軍が米内総理つぶしに奔走したため短命内閣として総辞職し予備役になったものの、戦局の悪化が進行した昭和19年に、周りから請われて異例の現役復帰を果たし、再度海軍大臣に就任し、次官になった井上成美と一緒に戦争終結への道を探り、本土決戦を避けたのです。
 そして、戦争の後片付けが済んで、海軍が解体され間もなく亡くなったんだけど、この人は、口も上手くなく、ディベートで言い負かすなんていうのは全くできなく、学校の勉強も優秀ではなかったけど、人を見る目、物事の本質を理解する眼力、そして自分の立場を守ろうなんていう考えは微塵も無く、胆も据わっているという、まさに日本を支えるために生まれてきたような人物で、この人の、色々な局面での命を賭けた決断が、常に後の日本を築くきっかけになったのです。

 一昨日奇しくもNHKで2週連続の特集で山本五十六が取り上げられているけど、前出の三羽烏では、太平洋戦争時に連合艦隊司令長官に就任していた山本五十六はかなり有名なものの、その山本五十六をもってして米内が最初に大臣に就任する前の前任者(前の海軍大臣)永野大臣に「次期大臣は米内大臣に!」と進言させるほど評価する先輩だったし、大臣と次官が一々打ち合わせをしているわけでないのに、お互い何を考えているか解っていて、井上成美を含めた一枚岩の守りを固めていたのです。
 オレは、組織のリーダーとして、米内光政に多くの事を学んだし、まだまだ学ぶ点が多いと感じているんだけど、最近の会社のリーダーの対極に位置する存在であり、今の世の中だからこそ、必要な資質だと感じています。
 米内光政、山本五十六、井上成美という、この3人の生き様と歴史には、数々のエピソードがあり、本当に重要な責務を果たしているので、近代史に興味をお持ちの方は、是非、関連の本に目を通してみてください。
12月7日
 独立後6周年です(笑)
 正直言って、エグイ商売の仕方をせず、(横着の観もあるが)ほとんど広告宣伝をせずに、巨大資本も入れず(やろうと思ってもムリ!?)6年間無事に仕事ができたもんだと、今更ながらビックリしてますが、これはひとえに皆さんのおかげである事は間違いありませんm(_ _)m
 これからもよろしくお願いします。

{司令長官と司令官}
 「話題豊富なオマエの事なので、色々なネタが出てくる事は、もう驚かなくなってきたけど、友鶴事件を知っているとは、そして米内総理の軍人時代の逸話の数々を知っているとは、ホンマにマニアやなぁ」というメールを旧知の某氏からいただいたのです。
 「だれがマニアやねん!」と速攻メールしたのは当然なんだけど、マニアではなく、正しく深い歴史認識と事象を把握しているだけ(のつもり)です。
 でも、「日誌に出ていた米内光政の爪の垢を、あの連中やウチの社長に飲ませたい」という話も、日誌を読まれた方に会った時にも言われたけど、残念ながら米内さんは、すでに鬼籍に入られているので、爪の垢は入手できないけど、皆さん一様に「こういう人は、確かに今の世に必要だよね」という感想を述べておられましたが、各界のリーダーや政治家、会社の経営者はそうあるべきだと思います。
 この米内光政の話の際に、オレに言わせれば「軍事マニア」(オタク?)に該当しそうな、Nさんが「ところで、司令官と司令長官って何が違うわけ?イメージ的には司令長官のほうが偉い気がするんだけど」という質問を受けたので、かなりマニアックにネタではあるものの、ちょっと不確定部分も含めて紹介すると以下のとおりです。

 よく、バーチャルものの小説などに「指令官」と書かれている事があるけど、あれは間違いで、命令を指示するのが指令で、軍事関連の指揮者の場合は、命令を司るので司令官という字を使います。
 その司令官と司令長官との違いは、司令長官が天皇から直接親任を受ける親任官なのに対し、司令官は、組織内の人事で発令されるだけという違いのはずです。(実際には、部内だけでの人事の高等官と勅任官という区分もありややこしい)
 戦前〜戦中の場合、海軍の場合、海軍大将の階級にある者、大臣以外にも、連合艦隊といういわば実戦部隊の司令官(連合艦隊司令長官)、各艦隊の司令官(例、第2艦隊司令長官)、各地域を守る鎮守府長官なども、天皇の親任で任官していたために、こういったポストは長官という呼称のはずなのです。
 だから、その指揮下に入っている小さい部隊の指揮官は、海軍部内での人事で発令されており、親任官ではないので、司令官という呼称で区別されているはずです。
 そして、戦後の自衛隊に司令長官が居ないのは、天皇が認めて任官する(戦後は親任官ではなく認証官という言い方をしています)のは、総理大臣、各大臣、副大臣(最近)、高等裁判所長官、大使、検事総長などが認証官で、防衛庁の場合、防衛庁長官と副長官以外の実戦部隊の指揮官は例え制服組トップの幕僚長であっても認証官ではないため、自衛隊には司令長官という職名は無く、連合艦隊と似た組織である自衛艦隊も司令官になっていると思われるのです。
 せんだっての内閣改造の際も、ニュースをしっかりと見ておられた方であればご存知だと思うけど、総理大臣が各大臣を指名し、正式に大臣に就任するのは、皇居で天皇から「官記(認証を表す書面)」を受け取るシーンが写されるけど、あれが認証の儀式であって、それを受け取るポストが認証官なのです。
 だから、省の大臣でなくても、国務大臣として同列に扱われている庁などの最高責任者が「長官」という冠名が付くのは、そういう所以で、いわば官職で長官、総長という職名が付いている場合は、認証官である可能性が高いと思っても問題ないはずです。(もちろん、暴走族の総長は、認証官と何の関係もありません・・・笑)

 という話を、なぜつらつらと日誌に書くかというと、Nさんに返事をする時間的余裕が無かったので、「その話、メールで説明するわ!」と、約束していたからで、なぜメールにしなかったかというと、どうせなら他の人にも読んでもらおうと思った、オレのサービス精神?です(笑)
12月18日
 記録的な豪雪で、皆さんは生活に支障はありませんか?
 気象庁の3ヶ月予報で、「暖かく雪が少ない」という予報が出ていたので、この大雪に驚かれているかも知れませんが、すでに「今年は暖冬では断じて無いべ!」と宣言していたオレとしては、予報的にも、チェーンなどの売上的にも満足です(皆さんご利用ありがとうございます。恒例のチェーン早期割引キャンペーンは、昨年の2倍以上のご注文をいただきました) m(_ _)m
 この厳冬予報は、数年前から日誌でも触れているように、太陰暦を研究する事で、太陽暦では勘違いしてしまう季節の移り変わりのずれと、長期的変動(10年周期の寒い冬のはず)との組み合わせが根拠で、昨年も厳冬というより、太陽暦で考えた場合は、実際の季節の移り変わりが遅いだけと言っていたのがほぼ当ったので、2年連続の的中にちょっと気をよくしていますが、クルマ業界人で「太陰暦」を研究しているヤツなんぞ、きっと他にはいないでしょう。(自慢にもならんけど)

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