トワイライト裏業務日誌 2004年9・10月
9月3日
 オッソロシイ事に9月です。
 広島では、あっという間に朝晩の気温が急降下していて、ちょっと山沿いのエリアだと、窓を閉めていても明け方には寒いそうです・・・ちなみに、オレは、いまだにエアコン全開です(ISO14000シリーズの対極をなす、悪しき人間かも!?)

{ピンク・スリップ}
 なんじゃそりゃ?と思う方も多いと思うんだけど、数日前のニュースで観た方も少なくないと思うのが、このピンク・スリップです。
 確かアメリカの共和党大会でブッシュ大統領を、次期大統領候補に指名する際に、その周辺で反対デモがあって、デモ参加者がピンク色の紙に英語(当たり前ですが・・)で色々書かれていて、その内容を要約すると、「ブッシュは大統領をクビじゃ!」という事らしいのです。
 そこで、誰だったか忘れたけど、アメリカの事情通?のコメンテーターが、「アメリカでは、クビを通達する際の紙はピンク地の用紙を使う事が多くて、そういう慣習を用いて皮肉ったものでしょうが、市民も見て、(クビになった経験がある人は)ヒヤッとするでしょうねぇ」と説明していたのです。
 確かに、身に覚えのある人には、あまり精神衛生上良くないと思うけど、実は、このピンクスリップを見て、「ヒヤッと」したのは、アメリカ人だけでなく、日本にも少ないながらも「ヒヤッと」した人達がいるはずなのです。

 その人達というのは、航空自衛隊のパイロット達で、さすが戦後にアメリカの教育システムを全て持ち込んでスタートした航空自衛隊だけあって、その効果?は、他の陸上や海上に比べると、階級が低い隊員に対しての接し方やコーヒーをやたらと飲みたがる習慣だけに飽きたらず、パイロットとしての訓練中にもたくさん、アメリカの名残が残っていて、その1つがピンクスリップなのです。
 例えば、初級操縦過程というコースに入校して、数ヶ月で30〜40時間程度のフライトによる訓練を実施するんだけど、毎回のフライトの後で、教官のこわ〜いチェックがあって、その日にマスターするべき訓練内容の評価に合格点が付けられなかった場合は、このピンク地の用紙で渡されるのです。(もちろんピンク・スリップと呼ばれています)
 そのピンク・スリップが2枚貯まれば銀のエンジェルに交換してくれるのならハッピーだけど、まずは銀のエンジェルの前に、担当以外の教官によるチェックのためのフライトが待っていて、その担当外の教官のチェックでも合格点を取れなかったら、教官の親玉である飛行隊長(まさしく金のエンジェル?)のチェックを受けて、それでもダメだったら、パイロットとしての道を閉ざされてしまうという、恐怖の1里塚への片道切符がピンク・スリップなのです。
 昔と違って、今では、素直な操縦特性の訓練機が導入されている事や、科学的なアプローチによる訓練シラバスなどの導入で、昔のように初級操縦過程に入校した人数の半分も、その後の訓練でウイングマークを取れなかったという事は無くなっているみたいなんだけど、それでも1枚もピンク・スリップをもらった事が無い人なんて少ないだろうから、そういう意味では、日本でもあの映像を見るとギクッとする航空自衛隊パイロットが少なくとも全国に400名はいるはずです。
 こんど、知人のパイロットに聞いてみようっと。。

{勝手な予報}
 個人的な予測では、今年の冬は早くくるのではないかとニラんでおるのです。
 その根拠は、去年の日誌がヒントです。(決して、早くスキーに行きたいという希望的観測ではおまへん)
9月21日
 気付いたら20日近くも日誌をサボっておりました。
 やはり、オレの科学的予測のとおり(かな?)秋の深まりは早いように感じていますから、スノーシーズンフリークの皆さんは、決してキリギリスさんにならずに、冬シーズンの準備を速攻でやっておく事をオススメします。

 日誌の更新が遅れていたのは、もちろん遊び呆けていたワケでも、食欲の秋に乗じて、アホのように食欲に振り回されていたわけでもなく、仕事と病院通いの合間を縫って、登板している専門学校の試験問題も作ったり、後期のカリキュラムの見直しをしたりと、比較的?マジメに過ごしておりました。(その証拠?に、弟の入院以来、ボウリングだって、まったくやっていまへん)

{恐怖の逆評価来る}
 サラリーマンの皆さんは、きっと能力を評価する側か、評価される側のどちらかに属していると思うのです。(オレも昔はそうでした)
 一般的には上司が部下を評価すると思うけど、そういう一方通行の評価システムの場合、自分の方法論しか受け入れる事のできない上司や、自分の好き嫌いで行動する上司の元に転属になったら、まさに浮ばれない話なのは、誰もが経験していると思うのです。
 そこで、逆査定として、部下からも上司を評価するというシステムを採用している会社も最近は少なくないと思うんだけど、これがどこまで有意義に活用されているのか?という事になると、かなり疑問が残る気がしているのです。
 そういう意味では、以前触れたかも知れないけど、昔の日本海軍の評価システムは、その年の上司からの査定だけではわからないものの、5年、10年分をつき合わせて検討すれば、上司からの一方通行の評価システムなのにも関わらず、自然と逆評価だけでなく、個々の上司の考え方まで白日の下にさらされるという自然なシステムで、これについては、とても感心した覚えがありました。(詳細は省略するけど、気になる方は言ってください)

 前置きはともかく、すでに書いた専門学校の期末試験が終了し、昨日の夜までに、せっせと採点して評価も付けたんだけど、試験終了時、答案とともに届くのが学生からの評価表なのです。
 しかも、その評価結果が書かれているシートに、講師はコメントを書き込んで返却するんだけど、これが恐ろしい事に学校の掲示板に掲示されるので、特に学生から悪い評価を付けられがちな講師にとっては、恐怖の年2回の閻魔大王の裁定みたいなもので、ホントに憂鬱になる人も多く、オレ自身ももちろん他人事ではないんだけど、今回は、担当している科目全てで、学生全員から満点評価という、オレの顔に似合わない?ような、結果をもらっておりました。
 でも、この逆評価システムは、文部科学省の指導らしく、密室で一方的権限を持つ責任をまっとうしていない不適格講師の洗い出しに役立つ反面、やはり評価の客観性に関しては問題が多いと思うし、その部分をどのように修正して評価するのかという部分に、何も手を尽くされていないから、卒業して10年経過した時に、「振り返ってみれば、ホントは良かった先生」を、在学中は「クソ講師」と評価していたというような、実にありがちな問題をはらんでいるので、文部科学省も、もっと考えて自然な評価ができるシステムを考えてもらいたいものです。
 ま、個人的には、満点でホッとしております・・・でも、毎回見るまでは心臓に悪いシートです。

{全部バレた!!・・病院日誌番外編}
 人間心理は不思議なもので、自分のダメダメな部分を知られている相手に、ちょっとカッコイイ部分を知られても何でもないクセに、カッコつけているつもりで、その後にダメダメな部分を知られると、実態以上に恥ずかしかったり、相手も実態以上に落胆したりするもんだけど、オレも、この裏業務日誌をネットで見られた方に、後から仕事などをご依頼いただいてお会いしたり、「バカな事を書いているわりには、仕事はマジメなんですねぇ」と言われるのは平気なんだけど、普段の自分を知られている方に、後で「お〜い、アホな日誌見たでぇ〜」と言われると、穴を掘ってでも入りたくなる心境になる事もあるんです。
 今日は、朝から病院に行って、家族とともに医療以外のスタッフに色々な相談にのってもらったんだけど、その時に病棟の看護グループからの申し出があって、看護師の方を1名同席される事に同意していたのです。
 こういう事を敬遠される方ももちろんいると思うんだけど、個人的には、患者自身の意識が無いために、なるべく家族との接点を大切にして、こういうシチュエーションでも問題認識の共有化をしてフォローしてあげたいという趣旨からの申し出であるというのは容易に窺えた事や、狭い意味での自分の担当部分だけ仕事をこなしておけば良いと考える風潮が横行している中で、自分自身の仕事のクォリティを高めるために、前後で関連する部門の仕事の内容を理解しておきたいという意味もあるだろうし、それによって、素晴らしいプロ集団が、さらにレベルの高い集団になっていただけるステップになればと快諾して、同席していただく事にしたのです。
 約束の時間に現れたのは、顔なじみなOさんで、ナースの格好ではなく私服なので???だったものの、オレの勉強不足の部分や、プロの看護師としての見解などを要所要所で発言してもらって、非常に有意義な時間を過ごす事ができたのです。
 そして、部屋を出て廊下を歩きながら聞いてみると、何とOさんは夜勤明けで同席したので私服だったらしく、義務でもないのに、そこまで能動的に問題意識をもって取組む姿勢にはホントに感服モノなのです。(Oさんと、非常にコミュニケーションを取れるようになったきっかけも、同じように、ドクターとの打ち合わせに自主参加されていたからなのです)
 「ゲッ!夜勤明けなんですか・・・そりゃスンマセン」と、さすがのオレも恐縮していたんだけど、その会話もそこそこのタイミングに「ホームページ見ましたよ!色々書いてありましたねぇ」とニヤッとするのです。
 そう、今日の日程の調整の際に、調整可能な日程をお伝えするためにメモ代わりに名刺の裏に書き込んで渡していたので、ホームページにアクセスしてみられたらしいんだけど、病院日誌は完全に読まれてしまったようです(汗)

 しかも、くまなくシッカリとチェックしたと言われた事から考えると、きっと日誌のアホネタはバレバレのようなので、知るのが怖いものの、今度会ったら何を読んだかじっくりと尋問してみようと思うので、何か心に残るネタがあれば、突っ込みを入れてくださいねOさん。
 でも、皆さんの仕事に対する姿勢だけでなく、人間的なハートが素晴らしいのはマジですよ。(お互い、仕事明けの1杯が最高に美味いのも、同感ですが・・・笑)
9月25日
 先日、オレが1科目を担当している厚生労働省主管の講座で、受講される皆さんに研究発表をしてもらった時の事、商圏を超えても利用したい店を挙げられたIさんは、なんと広島から京都の美容院に行くんだそうです。
 元々京都近郊にいらっしゃった際に利用し始めたのがきっかけだったらしいんだけど、どうも他の店には馴染めなくて、今でも毎回とはいえないものの、京都まで通われているそうなのです。
 一時期流行したカリスマ美容師のいる東京青山の店などに地方からの予約が殺到したというブームがあったけど、どうも聞いてみるとそういうブーム的な選択ではなく、内実が伴った店なので、どうしても利用したくて、新幹線代(こっちのほうが高額になるはず)、手土産(もちろん?お店への土産)代を負担してでも行く価値があると納得されているのです。
 これは典型的な商圏外の吸引力を示している例で、店に行くコストや労力と比較しても店や店員の魅力のほうが大きいからなのは皆さんもお解りですよね。
 ウチも、ネットショップの通販部分はともかく、実際にに作業が伴う依頼について、西端は北九州市、東端は大阪まで、幅広いエリアからリクエストがあって、来ていただいたり、こちらから出張作業として出向く場合があったりと様々だけど、そういう経験があるだけ、遠距離なのに、その店を利用しようという方の気持ちには、ホントに頭が下がる思いです。

 こういう距離のコストをモノともしない方の判断基準や、選ばれているお店のコンセプトというのを想像すると、ただ単に「安い」からという理由では無いはずだと思っているのです。
 説明するまでも無い事だけど、少々価格が安いからと言っても、移動のコストを考えると、安いメリットなんて吹き飛んでしまうのは、誰が考えてもわかる事だから、きっと価格以外のメリットを持っていらっしゃるお店だったり、そのメリットを評価している方なんだろうなぁと感じているのです。

 自動車業界でも、考えてみればまったく一緒で、例えば修理などで利用される方にとって、詳しい技術的な理由がわからなければ作業料なんて安いほうが良いに決まっているから、そういう技術的なアプローチに選択肢がある場合、それを説明していなければ「安いほうでいいから」というリクエストになるのは普通の事で、これは料理に合ったお酒を組み合わせて楽しんでもらいたいと思っていても、お酒との組合せで料理の引き立ち方が全然違う事を実感されていない場合は、日本人にありがちな「とりあえずビール」というようなオーダーの仕方になるのと同じなのです。
 ところが、ここ2週間くらいの間に受けた相談を振り返ってみると、お客さんの車の症状に対して修理工場の診断が、あまりにもズレている診断を下しているケースがいくつもみられたし、意味の無い拡大修理(症状から推測して、まったく交換する意味の無い部分まで交換している)を実施しているケースがあったり、その逆も珍しくなく、ここらへんの問題点に気付いた方であれば、少々面倒でも、ちゃんと診断してくれる工場に依頼したくなるのは当たり前だろうなぁ・・・というのを再認識せざるを得ませんでした。
 本来は、人間も車も、(修理という前提であれば)必要以上の部分に手を加えるのは望ましくないはずなんだけど、少なくとも車を愛する方であれば、「少々高額になっても、ちゃんと直るのであれば」という気持ちをお持ちであればあるほど、診断能力が無いために、意味の無い拡大修理を受け入れてしまう傾向があるようです。(もちろん意味のある拡大修理は必要です)
 というワケで、オレも酒以外の選択の眼を養う事にしますわ!?

{1冊の本}
 冒頭に出た講座は、初回にホンネを書いてもらうアンケートを実施しているのです。
 その直後に読むのは当然として、最終回直前にも改めて読み直すんだけど、Aさんという受講生のアンケートを読むと、思わずそれまでの言動が、どういう背景の元におこなわれていたのか、読み直しながらハッと気付いたのです。
 そして、その部分に関する考え方は、オレ自身も大いに共感している点だったので、以前買って読んだ本(盗って読んだら犯罪です!)を思い出して、ウチの整理されていない膨大な蔵書?の中から、探検隊を繰り出して深夜発掘して、翌日Aさんにプレゼントしたのです。
 プレゼントという行為に喜んでもらっただけでなく、なぜそのテーマについて、お互いが深く考えているか現場にいると感じる事などを休憩時間などで話し合ったんだけど、どの業界でも、やはりお客さんの視点で物事を組み立てる必要がある事を感じた有意義な時間でした。

 ちなみに、受講された方とはいえ、「新枝はむやみやたらと本をプレゼントして、太っ腹なのか、もしかして何か下心があるのか?」と妄想を巡らせている皆さんへ一言!
 実は、この5〜6年前に購入した本が、最近改題されて文庫本で発売されているのを、著者を見て「こりゃ買う価値あり」と買ってみたら、内容はかなり加筆修正されていたものの、改題されたすでに持っている本だったのです。
 というわけで、プレゼントしたワケです・・・・ははは
10月3日
 年中暑がりのオレの体感温度からすると、まだ夏というシーズンのつもりなんだけど、改めて周辺を見回すと、すでに皆さん秋の装い・・・
 夜になると、ほとんど半袖なんてお目にかからないどころか、かなり重ね着している人も多く、世間の目を気にしていないオレでも気になって、ようやく長袖を引っ張り出した今日この頃です。
 特に、今年の秋は、毎日病院に通っているために、ICUの看護師さん達が、いわゆる手術着タイプ(半袖)なので、半袖でも違和感が無かった・・・と言い訳しておきます(笑)

{プロとしてのリスク管理}
 以前、日誌で「プロはリスクを冒さない」と書いた事があって、その時には少し趣旨を誤解されている方もいらっしゃるようだったんだけど、今日の夕方の報道特集を見て、改めて感じたのは、やはりリスクコントロールが重要だという事です。
 オレも仕事柄、交通事故現場に出かけたり遭遇する事も少なくないし、路上故障車や交通事故車両の引上げに出かけることも、しばしばあったので、今回の報道特集のテーマで、1次事故の被害者を救援されていた主人公が無私の気持ちで、1次事故の被害者の救護に当られたかという気持ちは良く判るし、とても賞賛できる事だと思っているのです。
 しかし、2時災害を防止するための措置は、報道のとおりであれば、ごく普通の方々とは思えないくらい手を尽くしているように感じられるものの、事故現場で追突してしまうドライバー側の視点や心理を前提に対策をとっていたかというと、これは残念ながら十分とは言えないというのを感じていました。(これは、もちろん主人公のご家族に過失があるという事ではありません)
 強く雨の降る片側3車線の現場の中央の車線(左から2番目の車線)にひき逃げで放置されたと思われる1次事故の被害者を発見し、右側の車線に車を停止させ、中央の車線の被害者の手前に三角停止板を設置し、停止させた自分の車は、左側ドアを開けて置かれたそうで、その車中に戻った瞬間に後続の車両に追突されて不幸にも重傷を負われたというのが番組で取り上げられた発端だったんだけど、一見、手を尽くしていると思えそうなこの2次事故防止対策だけど、もう少し踏み込んで対策をする事で、もしかすると2次災害を防止できたかも知れないポイントがあるので、皆さんが同じ状況に遭遇された時の参考にしてもらうために紹介しておきます。

 まず、状況として雨天だった事をシッカリと記憶しておいてください。
 雨天の場合、特に高規格舗装でない路面では、自分や周りの車のヘッドライトの光の反射で、前方の異常が認識しにくいのは皆さんもお解りだと思います。
 そういう状況では、前方で異常な光景があった場合、晴天の夜と違って、何が起きているか確認するのは、どうしても時間がかかるだけでなく、確認が困難なために、ドライバーの意識は、その異常と思われる部分に集中しがちになるのです。
 そういう事から推測すると、居眠り運転で追突した場合は避ける事はできないけど、そうでない場合だと、最も光を反射する三角停止板が存在する中央車線に意識が集中するのです。
 しかし雨天で状況を確認するのに、普段よりも多少時間がかかり、また右側車線に停止している車も、中央車線に意識が集中し過ぎているために、停止しているという認識をするのが遅れがちになってしまうのです。
 また、数多くの経験を聞いてみると、とっさに回避する場合、右ハンドル車だとドライバーの位置が右側にオフセットしているために、車が中央車線の中央を走行していても、右側に寄っているような感覚があるために、右車線に回避してしまう傾向があると思われるのです。
 そのため、近づきながら三角停止板の前方の状況を確認していて、こりゃ回避しないといけないと感じるのが晴天よりも近くなっているために、周辺の安全確認が普段よりも不十分になり、そのために停止している右側の車が停止していると思わずに、右側に回避してみたら停止していたので追突したというような、この事故から見ると最悪のシチュエーションになってしまう可能性が高かったのです。
 元々、夜間に3車線ある道路でも、2車線を塞いでしまうと、非常にリスクが高くなるのは、過去の事例を引き合いに出すとよく判る事なんだけど、それに加えて雨天だったというのが被害を大きくしてしまった1つの背景要因なのです。

 では、どうすれば良かったかというと、車は道路外に停止させるのが最も望ましいと思うのです。
 どうしても、それが無理な場合は、極力車線を塞がないというのが原則ですから、中央車線の1次事故の被害者のかなり手前(70〜80mは確保しておきたい)か、向こうの同じくらいの距離を確保して、必ずハザードを点灯して停止するのが大切です。(そのまた手前に三角停止板を置き、さらに手前に必ず発煙筒を置いてください)
 よく、路上故障の救援で、路肩にタテに2台並べて停止させていたり、その車の間で作業したり、救援のJAFもしくはディーラーなどのサービスカーを待っている光景を見かけるけど、これは2次事故が発生した時に、人に車が衝突した後で、さらに停止している車にぶつかったり、車と車に挟まれて、2次災害を拡大してしまう危険があるので、絶対に避けなければならないのです。
 そして路上に倒れている方の救助活動は、その場で状況の確認をする事も大切だけど、いつ2次追突事故が発生するかも知れないという前提も忘れる事はできないので、動かせないと判断できる合理的な理由が無ければ、できれば、すばやく歩道などに移してから意識などの確認を行う事が大切なのです。
 その間は、複数の方で救助に当る場合、もちろん後方監視役が必要で、全員が同じ方向に意識を集中していると危険です。
 そして、被害者を歩道などに移動できれば、すぐに意識などの確認と、それに続く初期処置(BLS)を行いながら、救急車の要請まで素早くすすめないといけないのは当然だけど、手の空いた方が、停止させている車を道路外に移動させたり(せめて路肩に寄せる)する事も2次事故を防ぐ大切なポイントです。

 これが全てではないんだけど、人間は何か注目するものがあると、普段ならすぐに判断できる事の判断力が低下していたというのはよくある話で、歩道を歩く女のコに気をとられていたら、前方でブレーキをかけていた車に気付くのが遅れたなんて経験は皆さんもあるでしょ!?(ちなみにオレは、そういうよそ見はしません!?)
 そういうヨタ話はともかく、事故防止には、いわゆる加害者と呼ばれる立場からみた心理的考察がとても重要だという事と、いつ2次災害が発生してもおかしくないという認識がとても重要な事だけでもお解りいただけたと思うけど、そうした事前の危険についての想定をシッカリしつつリスクを回避するという意味なので、「リスクを冒さないと言っていても、決して何もしないという意味ではない」という事のニュアンスはご理解いただけたと思います。(プロは、普通の方の2倍危険な事に取組むけど、あらゆる事を事前に注意するのでリスクは1/10になっていないと、仕事として、そういう現場経験を繰り返すと、”ヘタな鉄砲でも数打ちゃ当ってしまう”ので、1回ごとのリスク確率は、極限まで下げる努力が必要という意味で、リスクは冒さないという表現です)
 ちなみに、皆さんも1度は目撃された事や話として聞かれた事があると思うけど、事故現場で、事故に気をとられていて、新たに追突事故が発生したというのは、皆さんの想像よりも、実はかなり高い確率で発生していますから、ホントに注意してくださいね。
10月5日
 朝目覚めると、嫌な音が・・・そう、雨の音なんです。
 今日は、朝からナビの取付の出張作業なので、せっかく早起きしたのに「ありゃりゃ〜」と少しテンション下がり気味になりそうなのを、なるべくお客さんのご希望の日に、お待たせせずに作業したいという気持ちで、1時間半の間、ずっと空を見たり天気予報を聞いたり、yahooの天気をチェックしたりしていたけど、やむを得ず断念して、他の作業の予備日として確保していた木曜に再調整したものの、昼からピーカンに天気になりました(涙)
 出張作業のリクエストの場合、やむを得ない事とは言え、ちょっと申し訳なかった今日の朝でした。

{病院日誌エピローグ}
 知らない間にシリーズ化したこの日誌。
 ついに、昨日の午後、弟が病棟を移ったので、コーナーとしては終わりにしようと思うのです。(個人的な突っ込みがあれば別だけど)
 病棟を移ったと言っても、プチ移動みたいなもんでICUからHCU(ハイケアユニット)に移動しただけだし、病状に大きな改善があったわけでもないのです。
 ただ、病院日誌に登場する看護師の皆さん達の担当ではなくなるのです。(ホントに残念)
 先週終わりごろから、「そろそろ移るだろうなぁ」という気がしていたし、そういう可能性を示唆してもらっていたので、この素晴らしき看護師の皆さんに対して何ができるだろうという事を考えていたのです。
 トラック満載の1万円札を届ける方法もあったけど、ちょっと(ゼンゼン?)そこまで甲斐性の無いオレが、せめてこれまでの感謝の気持ちを伝えるには・・・と無い智恵を搾り出して考えた挙句に、担当してもらったグループの皆さんに対して、手紙を書こうと思ったのです。
 そこには、今まで家族にも秘めていたオレの気持ちも書いたし、なぜその皆さんが素晴らしいかと言う事を色々書いた。
 そして、1人1人に対しても、具体的な感謝の気持ちを伝えたかったので、その手紙の後半に、1人1人の看護師さんに対して、これまで色々あった事への感謝、お礼を書き綴って、昨夜の面会終了時に、準夜勤で残っていた方に託したのです。
 託したOさん、Fさんが「私たちにわざわざ?」って優しい表情で受け取ってもらったんだけど、今日病院に行ってみると、顔を会わせた何名かの方から「手紙読ませてもらいました」とか、「みんなで食い入るように読みましたよ」とか言ってもらって少々テレぎみだったのに、新しい部屋に昨日までの病棟の婦長さん(今は正確には看護師長です)なんとわざわざ手紙のお礼のために、訪ねて来られたのです。
 お礼をするのはオレ達のほうなのに、まさか婦長さんにまで、お礼に来てもらうなんて考えてなかったオレはビックリしたのです。
 さらに、この裏業務日誌を読んでもらった看護師さんがいる事を書いた事があったと思うけど、今日、婦長さんから聞いた話は、もっとビックリで、実は以前から婦長さんにも読んでもらっていたそうなのです。
 あまりにもビックリで、穴があったら入りたいどころか、穴を掘ってでも入って隠れたいほど恥ずかしかったんだけど、率直に感じて書いた、これまでの病院日誌の内容をとっても喜んでいただけて、ホントに良かったと思ったのです。

 元々、手紙という形でお礼の気持ちを伝えようと思った理由の1つとして、オレも似た経験をしていて、それがとっても嬉しかったからなのです。
 長期的に日誌を読んでもらっている方はご存知のとおり、オレは自動車関連の仕事をしながら、自動車関連以外の業界について、色々な形で講師として招かれて講義もしているんだけど、その講義中に色々感想を教えてもらうことも嬉しいものの、講座などが終了して、全く利害関係が無くなった直後などに、「〜というようなスタンスで教えてもらったのが嬉しかった」というような事をメールしてもらったり、手紙をもらったりする事も多いし、こちらの本業でも、商品をお届けしたり、作業させてもらった後で、「どういう対応が新鮮で嬉しかった」とか、「〜だから信用できた」というような感想や、「こういう部分まで考えてもらったので満足できた」なんていうコメントを寄せてもらうと、ホントに苦労してよかったなぁ〜と思う事が多いのです。
 それがきっかけで、講座という接点が終了しても、色々な形でお付き合いいただいている方も多く、専門学校の卒業生だって、きっとオレほど後々つながりがある講師も珍しいと思っているので、やっぱり立場的な接点(例 講師と受講生という関係)はきっかけにすぎなくて、ホントの人間関係は、そのきっかけが終わっても続くものなんだなぁとか、直接利害関係(こういうコメントをしたからと言って、自分にメリットが返って来るワケじゃない関係)が解消した後だからこそ、ホントの感謝の念が無いと書けない事でもあると感じていたので、オレもそういう感謝の念があるので、病棟を移ったら渡すべく、書きたい内容を考えていたのです。

 もう1つの理由として、集中治療部というところは、どうしても意識の無いような重篤な患者さんを引き受けている事で、患者が感謝できないのは当たり前としても、家族も患者の状態ばかり気になって、お礼を言う機会がなかったり、そうでないケースでも、短期間で一般病棟に移ったりするので、オレ達のケースのように、長期間お世話になって、しかも総合的にサポートしてもらった家族がどんな気持ちで感謝しているかというのは、なかなか理解する機会を持てないのかなぁ〜と、他の病室を見て感じていたので、せめてオレ個人の感謝の気持ちだけでも伝えようと思ったのです。

 そして、今日明日にも移るという状況になったので、夜12時頃に仕事を終えて、それから皆さんの顔を思い浮かべながら3時間格闘して書き上げたというワケなのです。
 ホントに苦しい最中に、いつも笑顔で支えてもらったし、一緒に色々な事にも取組んだし、そういうとっても良い人間関係だったから、病棟内の熱傷浴槽の修理(あり得ない話でしょ?・・笑)を喜んで手伝ったりと、とても2ヶ月間とは思えないほど、色々な想い出ばかりで、手紙の最後にも書いたんだけど、ここが普通のお店だったら、間違いなく周りに紹介しまくる素晴らしいお店と言えるし、これからもホントに大切にできる皆さんでした。(社交辞令無しのホンネです)
 ホント、一般の病院なら、皆さんにも紹介できるし、名前を公表しても差し支えないんだけど、さすがにここだけは、自分の意志で行く事ができないところなのが、ホントに残念です。
10月13日
 車検証に書かれている内容をすべて理解されている方は、「車マニア1級」くらいは差し上げたいと思う、今日この頃です。
 なぜ、今さらそんな事を思うかというと、「やっぱり業界人ってこんなレベル?」と、ガッカリするような(でも笑える話)を耳にしたからなのです。
 皆さんは車検証の車両重量と車両総重量は、どのように測定されているかご存知ですか?
 正解の前に、「ガッカリ&笑うネタ」を披露すると、オレが昔在籍していたディーラーの後輩営業マンが、別のディーラーに移籍して、現在も中堅営業マンとして活躍しているんだけど、彼曰く「車両総重量」の算定方法を、今の今まで確信していた方法があって、それがようやく間違いだと気付いたらしいのです。
 その計算方法というのは、車両重量が、ボディにエンジンやタイヤなどだけが装着されている状態で、車両総重量は、それに内装やシートが装着されている重量だから、高いグレードの車ほど車両重量と車両総重量の差が大きいんだと確信していたんだそうです。
 「アンタ何年登録書類書いていたんやねん」と、関西芸人みたいに手の甲で突っ込みを入れたくなったんだけど、皆さんはどう思いますか?

 車両重量は、もちろん内装もシートも装着されている完成品としての車の重量にガソリンは満タン、工具やジャッキ、スペアタイヤは降ろした状態です。(後付けのナビなどは、もちろん含まれていません)
 車両総重量はというと、つい後付けのナビなどが含まれているんじゃないかと勘違いしそうなんだけど、それは間違いで、車両重量に乗用車の場合は、定員分の人の重量を加算したもので、貨物の場合は、もちろん認可積載重量も加算されます。
 ただし、実際のドライバーや家族の体重を測定しているわけじゃないのは、皆さんも登録時に体重計に乗ったりしていない経験でご存知のとおりで、実際の体重や、服の重量に関わらず1人55kgで計算されています。
 というような計算方法なので、”どノーマルな車”で、ガソリンが空に近い場合は、車両重量よりも軽い状態という事もあるし、満タン+後付けの装備品満載+体格の良い?人が定員乗車というような場合は、車両総重量よりも重い事もありうるわけです。
 そういう実態はともかく、この2つの数値の計算方法はお解りいただけたと思います。
 でも、問題は10年以上も登録書類を書いていながら車両総重量をあんな計算方法だと勘違いしているとか、別人で以前触れたけど、ディーゼルエンジン車用の「軽油」「軽自動車の燃料」だと確信しているヤツがいたりと、まだまだこの業界は勉強不足のようです。

{リバイバル病院日誌?}
 昨日の夜の話です。
 これまでICUで担当してもらっていたナースのIさんが、新しい病棟に顔を出していただいたのです。
 この人、いつも笑顔で患者さん思いの、もちろんICUのベストメンバーの1人で、別の患者さんの処置をされている時も、意識の無い患者さんのちょっと苦痛を伴う処置中(と思われる音が聞こえていました)でも、苦痛に反応する患者さんに「ごめんなさい何々さん、痛いねぇ、ちょっとだけガマンしてくださいね。ホントにごめんなさい」と言いながら処置されているのが廊下を歩く時に聞こえたりして、「いつも、誰が見て無くてもあんな気持ちで看護してるんだなぁ」と優しさが伝わってくる方なのです。
 でも、高校時代の部活を聞いたらビックリなんだけど、それはIさんのOKが出たら、いつか公表するとして、そのIさんが今の病棟に2度目に顔を出していただいた際に、「病院日誌なんでやめたんですか?」と言い出すのです。
 どうも、10/5の日誌ネタを把握されているだけでなく、更新されてないという突っ込みがあったので、少なくとも10/5以降に1度はチェックされているんだなぁ〜というのは即座にわかったんだけど、病院日誌終了の理由として、「やっぱり、そういう家族の病状を見つめ続ける事が苦しくなられたんかなぁ」と思っていたそうです。
 ま、確かに病状をみて楽しくなるワケは無いものの、そういう理由ではなくて、病棟も移ったので、一応ピリオドにしただけですよと説明し、何でも書いている(ように見えるはずの)業務日誌も、不特定多数の方が読まれているので、あまり大きな誤解を生じるような事は書けないので、意外と書きにくいものだという点も説明したんだけど、ICUの皆さんが、「更新はまだか」とか、「病院日誌は更新されとる?」なんて関心を持っていらっしゃるようなので、スンマセン、イキナリ復活しました。

 ところで、病棟ごとに担当される看護師の皆さんが違うというのは、皆さんもご存知ですよね?
 日誌にも書いたけど、当然、ここでもそうなんです。
 ところが、病棟が移った後でも、なんと7名の元の看護グループの方に顔を出してもらっている(もちろん仕事としてではなく)のは、本当に嬉しいことだし、ナース側から見た場合、別の職場に移った患者の所に顔を出すというのは、その別の職場のナースたちへの遠慮もあるので、どうしても敷居が高くなると思うものの、その少し高い敷居をアッサリと乗り越えて、顔を見にきてもらえるのは、その分余計に嬉しいものです。(こういうのをホントの人間関係というとオレは思うのです)
 時には、貴重な休憩時間なのに、20分も話し込んでもらった人もいるくらいなのです。
 というワケで、勤務シフトの関係で、面会時間に顔を合わさないけど、日誌をチェックしてもらっている看護師の皆さんに、誌上を私物化(元々私物のようなものですが)して、お礼とメッセージを伝えます。
 病院日誌は、ICUの皆さんも、一般の方も結構読んでもらっていて、一般の方々も、「そういう病棟で良かったねぇ」とか、「最高のスタッフですね」とメールをいただいているし、「もうちょっと色々書いて欲しい」と要望されてもいるので、アッサリと前言撤回して復活させる事、そして担当でもないのに、今の病棟に顔を出していただく事は、何よりも嬉しいので、立場上差し支え無ければ遠慮なく、サクッと乗り込んで来て、アホなオレ達にいつものようなツッコミを入れてくださいというのが、オレの気持ちである事を宣言します。

 あ、ちなみに、絶対にあり得ないと思うけど、もし万が一、今の病棟の看護師の皆さんの中で、この日誌を読まれている方がいらっしゃったら、お解りいただけると思いますが、看護上の意図があって来られているワケではないので、解ってくださいね。(温かく見守ってください)
 もし、万一日誌を読んでいる現病棟の方がいらっしゃったら、コッソリと耳元で「月夜の晩だけじゃないよ」じゃなかった、「ふっふっふ。日誌は誰でも読めるものですよ」と、さりげなくささやいてください。(きっと、ささやかれたら、10秒は固まると思います)
10月13日
 秋の好天の1日、どうお過ごしでしたか?
 今日の作業は1件のみで、HDDナビのバージョンアップが完了したHDDの取付でした。
 バージョンアップ後、「どこか新しいデータは無いかね?」とお客さんとチェックしてみると、しばらく通っていない道が、大幅に変わっているのをナビの画面で初めて知ったのは、今日のささやかなビックリでした。

{病院日誌かな?これ}
 先日、弟の鼻から胃に入っているチューブを抜管して、義妹曰く「男前が台無しだったのが、少し戻った」らしく、このチューブの名称って、「マーゲンチューブ」なんだけど、考えてみるとおかしな名称なんですよね。
 医療業界は、昔ドイツ語でカルテを書いたり、ドイツ語で病名や器具を呼んだりしていたのは、ご存知の方も多いと思うけど、その流れを汲んで胃の事をドイツ語でマーゲンと言うから、マーゲンはヨシとしても、何でチューブなんや?という話です。
 ドイツ語で呼ぶならマーゲンゾンデだろうし、最近の流れは英語を用いるので、英語で行くなら「ガストミックチューブ」やろ!?と思うけど、なぜか日本では「マーゲンチューブ」という名称が定着しているんですよね。
 これって、車で言う和製英語の用語みたいなものなんだと思うので、比較的知られている和製英語を紹介すると、まずはフロントガラスです。
 これは、フロント・ウインドシールドが正確な英語なので、フロントガラスは完全な和製英語なんだけど、笑えるのは、オレがまだディーラーに在籍していた時に、某大学のL助教授(イギリス出身の方)がお客さんだったんだけど、このLさんが「あのね新枝さん。私の車のフロントガラスがね〜」なんて話し掛けてきたので、おかしくて、その事をLさんに突っ込んでみると「いや〜、和製英語だけど、”郷にいれば郷に従え”ですよ」と、欧米人から聞くとは思わなかった含みのあるお返事で、ますます親しみを持ったもんでした。(このLさんの、そういうネタは尽きないほどあるのです)
 他にも、ハンドルはステアリングホイールだし、略し方が妙な部品名称も少なくないのです。

 それはともかく、車の部品名称は、日本での歴史が浅かったせいか原則英語だけど、さっき触れたように医学界ではドイツ語から英語に流れが変わってきているので、ドラマなどを見たときに、専門用語をどちらで表現しているかで、ドラマの中の医事監修を担当している医師の年代が推測できるというオマケまであるので、皆さんも医療関係のドラマを見るときには、そういうポイントでもチェックしてみてください。
 例
心電図⇒EKG(独)・・ECG(英)
血圧⇒デゥルック(独)・・BP(英)
肝硬変⇒チローゼ(独)・・LC(英)
がん⇒(敢えて省略)

 ところが、いまだにドイツ語が幅を利かせている用語も、少なくともオレが知っているだけでも少なくないんだけど、これは、その用語を使っている関係者の世代の問題ではなく、どちらかというと、当事者が同席していても、関係者以外に話の内容や意図を知られないほうが便利(隠蔽なんていう意味じゃなくて、余計な心配をかけさせないためにという意図)と思われる用語などに、そのまま使われている感じなので、これは趣旨を尊重して、ここには書かないようにしときますわ(関係者の皆さんが、仕事しにくくなるとマズイですからねぇ)
10月22日
{それぞれの理由}
 なーんて、タイトルを付けたりすると、何の話しかと思われそうだけど、簡単に言えば、同じ事をやっても、同じモノを購入しても、人それぞれに動機が違ったり、背景が異なったりするという、一般的な言い方をすればここでわざわざ言う必要も無い話なんだけど、昨日の夜に、常連さんである「パトロール一郎」さんと電話で話をしていた時に、「これも”それぞれの理由なんだろうかなぁ”と思ったので紹介します。(本人も、”ナンボでもネタに使え”と言ってました)

 去年のこの頃に、この話題の主人公であるパトロール一郎さんは、ウチにルーフボックスを注文されたのです。
 そのルーフボックスの寸法には、かなり厳しい制約があり、それをクリアするモデルをお届けしたんだけど、特にボックス装着時の全高を210cmに制限できるというのが条件だったのです。
 この全高制限というのは、いわゆる自走式立体駐車場の利用頻度が高い方であれば、結構優先される条件なので、そのこと自体は普通の事として、別に何も気にならずに対処していたのです。
 ところが、昨夜の電話で、なぜ自走式立体駐車場にボックス装着状態で入れる事ができないとダメなのかという真の理由を聞いて爆笑したんだけど、パトロール一郎さんは、仕事柄、残業が多いし、残業が無い時も、出張に明け暮れているのです。
 そうなると、男1人の食事というのは、どうしても簡単で1人で入りやすいところを選ぶという事になるのは、同じ境遇の方であればお解りになると思うんだけど、いつも夜遅くにラーメン屋に行って、注文したラーメンなどが出てくると、「今夜はこれじゃ!」というような迷文とともに、ケータイのメールにラーメンなどの画像を添付して送ってくる人なのです。(もちろん、画像を送れなんていうリクエストはしてないんだけどね)
 だから、てっきりラーメンフェチなんだろうと思っていたのです。
 ところが、昨夜の電話で、ラーメンよりも「日本そば」が好きらしく、それもラーメンどころではなく、マニアの領域に入り込むくらいのめり込んでいるらしいのです。
 これまで、深夜の画像付メールにそばが登場していなかったのは、単に広島では夜遅くにそばを食べれる店が無いので、ラーメンを食っていただけである事が発覚しただけでなく、なぜ自走式立体駐車場に入れないと困るのかというと、パトロール一郎さんのよく行くそば屋に乗り込むには、自走式立体駐車場に入れるしか方法が無いらしく、それを冬の間断念する事はムリだと思ったらしく、それで全高をクリアできるルーフボックスの購入に踏み切られたそうなのです。
 「うそ〜、そこまでマニアなんね」などと、ビックリしながら突っ込みを入れたんだけど、同じように自走式立体駐車場対策で高さの低いボックスを購入されるにしても、その理由は千差万別なんだなぁ〜と、改めて思った次第でした。(素晴らしき”そば”愛!?)

{業務連絡?}
 というワケで、この日誌を頻繁にチェックしていただき、会う度に、記述ネタに素早く突っ込みを入れる、同じ自称そばマニア1級のOさん(ご自分でわかりますよね??)、以前聞かれた安佐南区のそば屋についても、パトロール一郎さんに、どこにあるのか、どんな味なのか調査依頼を出しておきましたので、何か情報が返ってきたら報告します!・・・って転院したら報告できんから、その際には、また日誌で業務連絡しますけん、その時には連絡してきてくださいね。
10月23日
 まずは、今日の新潟を中心とした地震で被災された皆さん、心よりお見舞い申し上げます。

 でも、まだまだ災害に対しての行政側の対処スピードは非常に遅いと感じてます。
 特に、1秒でも早く対処しなければならないケースの災害医療体制は、理想には程遠い気がするので、いかに初動期に自衛隊の救難機などを活用できるかという事などは、自衛隊の救難隊側の問題ではなく、行政側の対処時の手順などを改善するだけで、かなり有効になるので、是非とも他の自治体の防災対策の担当の皆さんも、現実的問題として手順の問題点を検討してください。

{昼間のパパ? PARTII ナース編}
 以前、知人の戦闘機パイロットが、家では”グータラ”を絵に描いたような生活なのに、戦闘機パイロット映画を見た奥さんが、「あんな危険で大変な事を仕事でやっていたなんて」とビックリして、「昼間のパパ」の凄さを実感したという話を書いた事があったけど、その看護師編です。
 これまでの病院日誌で紹介しているように、ここの2つの病棟(ICUとHCU)の看護師の皆さんは、非常にフレンドリーな方たちが多くて、冗談がポンポンと飛び出したり、お互いに突っ込みを入れあったりと、独特(理想的?)な人間関係まで築かせてもらっているのが不幸中の幸せなのです。
 もちろん、そこは吉本興業広島集中治療部ではないので、いつも漫才をやっているわけではなく、看護師としての仕事の姿勢や技術、そして勉強されているレベルの高さは、一部だけ日誌で紹介していても、皆さんも想像できるのではないかと思うのです。
 そういう実態を、いつもシッカリと認識しているオレだけど、先週再認識した事があったのです。

 それは、弟の病状は、良くも悪くも安定しているんだけど、いつものように休憩時間に顔を出してもらっていた看護師さん達と、バカ話を含めてベットサイドで色々な話をしていると、ある意味「急変」という表現を使っても良い変化が起きたのです。
 オレは、この2ヵ月半、色々な事があっても、患者の家族というポジションに居る人間としては、多分「相当に冷静に経過を見守ってきた」つもりで、家族として座視できないような状況でも、落ち着いてその状況を見つめ続けていたはずなんだけど、この時ばかりは、「こりゃ、すぐに対処しないとマズイはず」と思えるような変化だったんだけど、オレがその急変に気付いて、看護師さん達に声をかけると、一瞬でそれまでの雰囲気とは違ってピーンと張り詰めた雰囲気になっただけでなく、あっという間に、複数の指示、確認がはじまり、驚くほどのスピードで対処が始まったのです。
 対処が始まると、もうオレの出る幕は無いので、邪魔にならないように、そして症状をシッカリと見逃さないように観察する事に専念していたんだけど、やはり「磨かれたプロの仕事は違うなぁ」と思いながら、皆さんの動きを見ていたのです。
 よく、大変な責任や緊張感を要求される職場では、常に張り詰めた緊張感が必要だし、そういう緊張したままのスタッフが仕事をしていると想像したり、そうである姿を要求される雰囲気があるけど、個人的な考えを、ここで書かせてもらうと、それは緊張を強いられる職場を知らない方の発言だと思うのです。
 というのも、人間は常に緊張していると、注意力は時間とともに低下して、運動神経を制御する集中力も悪化するので、普段の仕事では、もっと柔らかな雰囲気が維持できる環境じゃないとダメなはずなのです。
 これは、誤解していただきたくないんだけど、手を抜いているという事ではなく、世間の同じ環境の職場と比較したら、何倍も緊張を要求される状況が普段の状況にも関わらず、それに携わるスタッフの能力が磨かれていると、そういう状況なのに一見「リラックス」して仕事をこなしているように見えるはずなのです。
 ちょっと解りやすく例えると、車の運転というのは、常に高いレベルで注意義務と状況判断を求められているけど、運転のヘタな人に限って、常に意味の無い緊張をしていて、途中で注意力不足による事故などを引き起こしやすく、運転技量の高い人は、常に高い緊張状態を続けているワケじゃないのに、その場その場に応じた注意を怠らず、結局長時間運転でも安全につながっているというのと同じです。

 それはスタッフの能力の高さから来る、余裕がそうさせる事なので、その余裕が無くなるような事態が出てくると、能力をフルに使おうとするので、一瞬の間に、全力投球モードに変身するわけで、その切り替わる瞬間に接する事で、「あぁ・・やっぱり、ここの人たちの能力はプロとして凄いなぁ」と、まさにICUとHCUの皆さんの仕事振りに昼間のパパを見た思いでした。
10月25日
 一昨日の日誌を読まれた方が「そんなに災害に対する救援って遅いと思います?阪神大震災の時と違って結構早い対処をしているように思うし、自衛隊も協力体制ができていると思うんですけど」と、仕事でお目にかかった時に感想を述べられたので、個人的な考えに基づき”あるべき体制”について、ちょっと書いてみます(あくまでも個人的な考えです)

 確かに、阪神大震災に比べると、いろいろな意味での体制が改善されているのは、そのとおりだと思うんだけど、こういうことには完璧が無いので、もっと総合的な体制を考えるとすれば、どこまで踏み込めるのが良いのかという意味での考え方なんです。
 まず、災害時というのは平時ではなく異常時だし緊急性も高い事態なのです。
 平時の仕事のルーティンワークとしては、1つ1つ確認をしてから、その対策を考えるという手順でも大きな問題は生じにくいものの、緊急対処が必要な時には、通常の担当者が通常の手順で確認をしてから対策を考えるというのでは、後手後手になってしまう危険があるのです。
 例えば、救急は消防庁、災害の対処は行政なのはわかっているし、その主管機関があることが悪いわけじゃないんだけど、あれだけ大規模の災害の実態を把握するのに、地方自治体の災害行政部門の平時と同じ確認方法で実態確認なんてしていると、すべてについての初動が非常に立ち遅れてしまうのは、今回で言えば、翌朝になっても、被害の概要が把握できていなかったり、救難体制の立ち上がりに遅れが生じたり、今でも問題になっているけど、48時間以上経過したのに、食料その他の補給さえ十分にできていないというのを見ればお解りだと思います。
 そして、被災地域が広域になればなるほど問題になるのは医療体制の問題で、よっぽど災害時の基幹病院に指定されて、それ相応の準備や設備がないと、同じように地震などの影響で機能不全になっている場合も珍しく無いのです。

 このような状況の中で、いち早く大規模に総合的に対処する機器や人員、機動力を備えている余力のある組織といえば、自衛隊だというのは皆さんもお解りだと思うけど、その自衛隊に部分的に援助を要請するという今の実態ではなく、初動時から総合的に先を読みながら展開できるように法整備(部分的には進められようとしているけど)を進めていかないと、いつまで経っても、平時の手順で数少ない要員が中心になった対応の為に、その周辺の組織や人員が待機していても、具体的に何も手を出せなくて、結局大切な人命が失われたり、被災者に必要以上の苦労をさせてしまう事になりかねないと感じているのです。
 例えば、災害発生時の被災状況確認から、自衛隊の機動力を活かすべきだし、今回のように夜間の場合も、ヘリや哨戒機、偵察機の赤外線による地上の確認能力をフルに活用して、少しでも早く少しでも広範囲を状況確認できる必要があるし、災害物資の輸送にしても、どこへ1日あたりどれだけ輸送しなければならないかという立案、輸送計画、具体的なトラックなどによる補給活動だけでなく、道路遮断地域については、陸自、空自の輸送用ヘリの大規模動員、運用計画、そして被災によって通行止めになっている道路にも、陸自の施設科部隊の緊急展開による緊急修復、他にも、被災者の救助にしても、救難ヘリの投入体制をもっと踏み込んだものにする事で、怪我人の救出が少しでも早く対応できるのは言うまでも無く、病院設置の法規制に特例を設けて、被災地にイラクに持ち込んでいる野戦病院セットを設置し、災害医療体制を側面でも支援できると、かなり被災された皆さんへ貢献ができるのです。
 そして、これらの緊急展開と全般を管理できる体制を作る事と、その運用を行う事は、実は自衛隊本来の任務である防衛出動時の展開であったり、大規模テロ侵攻に対する対応の本格的訓練にもなるのです。
 通常は、様々な制約で、総合的なそういう実戦のような緊急大規模展開と、その運用は訓練し難いものの、こういう時に、ある程度の権限などを付与する事で、自己完結性の高い自衛隊だからこそ、本当の意味で求められている災害派遣活動になり、その際の問題点を洗い出す事によって、防衛出動などの際の補給問題、展開方法などをより具体的なものにできるのではないかと思っているのです。
 食料や毛布などの補給についても、現状のような、各地に点在している5〜8万人の食料補給さえできないようであれば、実際に有事(はあって欲しくないというのはオレも同じ気持ちです)が生じた際に、弾薬、燃料などを含めた補給活動なんてできるわけがないので、是非、もっと有機的な活用方法を検討してもらいたいと考えています。

 ちなみに、アメリカのイラク侵攻自体の正当性は議論の余地があるけど、アメリカ軍の総合的な展開方法、他の部隊の情報を、どのようにそれ以外の部隊に共有化できるようにするかというIT化(デジタル師団など)、そしてナビのルート設定じみたいに、ルート、補給数量、輸送手段、出発時刻など補給体制の最適化できるプログラムなど、ここ10年の間に、大幅に改善されたアメリカ軍のそういう意味での向上した能力は、一部日本の自衛隊にも導入されつつあるけど、こういう災害の時にも活用してほしいと思うのがオレの気持ちです。
 問題は、いかに行政が主管機関になりながら、自衛隊の機動力を活かすのかという本部機能の活性化の問題だとは思いますが・・・
10月28日
{F転}
 何じゃそりゃ?と、またまた突っ込まれそうなタイトルでスンマセン。
 F転とは、航空自衛隊の戦闘機パイロットが、戦闘機乗りとしては能力的に不適格などの理由で、ヘリパイロットに転換させられる辞令の事を略して言われている言葉なのです。
 なぜ、ここでその話を持ち出すかというと、実はちゃーんと深い理由があるからなので、是非、以下は時間の余裕を持って読んでください。(ま、長い日誌はいつもの事だけど)

 どこの職場にも、花形の仕事とかエリートだと思われる仕事があるのは、その是非はともかく、現実だと思う。
 そして、最近は以前ほどは顕著ではないものの、航空自衛隊と言えば、パイロット、パイロットと言えば戦闘機乗りという図式が出来上がっていて、良い意味でも戦闘機パイロットには、その選びぬかれた自分に対する誇りのようなものがあるのです。
 ところが、その先頭機乗りの誇りを打ち砕く左遷とも感じられる「救難ヘリへの転換を命ず」という辞令を受け取って、自衛隊を辞めようかと思ったパイロットが、何とか思いとどまって、渋々とヘリのパイロットへの転換訓練を受けて、救難部隊に異動してみると、警察、消防、海上保安庁が荒天などの理由で、尻込みするような超悪条件下の最後の頼みとして出動要請がかかり、危険と隣り合わせの状況での救助に出かけたり、その救助ミッションで助けた方やご家族が、後で手紙を寄せられたり、お礼に来られたりするうちに、自分が今まで戦闘機以外のパイロットを格下に見ていた不遜さと、そんなやりがいのある仕事だと知らなかった不勉強さを実感して、益々ヘリの操縦技術や救難ミッションのクオリティ向上に磨きをかけたという実話があるのです。

 オレも、昔戦闘機パイロットには多少憧れて、以前書いたように試験も受験(受験動機は少し純粋ではありませんでしたが)して、難関をパスしかけた頃は、「戦闘機が最高」だと思っていたけど、世の中には目立たなくても、自分に利害関係が無い人のために、隠れた努力をされていたり、世間の認識とは大違いで別の部門と大して変わらない報酬にも関わらず、とてつもなく世の為に尽力している公務員も少なくないのです。
 その1例として、新潟で今回脚光を浴びたレスキューがいるし、最初に紹介した救難隊も同様です。
 彼等を、そこまで突き動かしているものは、プロとしての誇りと、無償の愛だけと言っても過言ではないと思っているんだけど、もう1つ身近な存在としては、今日まで弟がお世話になった集中治療部のドクターや看護師の皆さんです。

 意外と多くの方が誤解していると思うけど、いわゆる教育機関に属するドクターの報酬は、世間の医者の収入という先入観からすると、とてつもなくギャップがあるし、それに相反して、最後の頼みとして搬送される重症の方々を、必死に守り続ける集中治療部勤務というのは、ドクターだけじゃなくて看護師という職務についても、とてもじゃないけどハンパな根性では続けられないはずで、わざわざそういう病棟を希望するのは、多分皆さんそれぞれの心の中に、過酷な環境に自ら志願する「原風景」とか「原体験」のようなものがあるんだと思っているのです。
 だからこそ、苦難の道を歩みながらも、プロとして徹する事ができる素晴らしい生き方をされているんだといつも感じていたんだけど、その皆さんとも、今日から転院する事になったので、毎日患者の家族という立場で、皆さんに接するのは最後になるために、今日が近づくにつれて寂しさも増していたというのが正直な気持ちだったのです。
 そういう気持ちを抱きながら、昨夜いつもと変わらずに面会に行ったら、以前のICUで担当してもらっていた看護師長さんが、またまた挨拶に来られて、「あの時に、いただいた手紙は、今もみんなの宝物になっています」と言われたのです。
 やっぱり救難ヘリのパイロットと同じように手紙を受け取ってもらっていたというのは、本当にオレとしても嬉しくて、改めて書いて良かったと思った反面、ICU、HCUの皆さん全員に最後にお礼が言えないのが最も心残りだなぁ〜と実感したのです。
 そして今日、これまでの色々な出来事について、短時間ながらも声をかけてもらったり、何と手紙までもらったりと、あまりにもオレ達の身に余る気持ちをいただいて、ついに玄関まで担当ドクターや看護師の皆さんに見送っていただいた時に涙を見せてしまいました。
 それほど、オレ達にとっては、スタッフの皆さんは、これまでも、これからもかけがえの無い存在です。
 本当にありがとうございました。
 これからも、オレは皆さんの「シモベ」です!?

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